読み物

洗心言

2002年 初秋の号


伝承の花

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伝承の花【菊】
中国では古来より、菊は不老長寿の霊草として珍重されてきました。日本でも平安時代、九月九日の重陽の節供に、菊花を浮かべた酒を飲んで長寿を願う節会が始められたと伝わります。

自然の恩恵 共存の知恵

赤かぶ、すぐき菜、壬生菜漬け。秋の声を聞くころに京都の市場を歩けば、色とりどりのお漬物に出会うことができます。サクサク、シャキシャキ、サッパリと、新鮮なお漬物があれば温かいご飯がいっそう美味しく感じられ、それだけでお腹がいっぱいになりそうです。
人と自然とがひとつになることで生まれ出る、本当の豊かさをご紹介する「自然の恩恵 共存の知恵」。今回は、日本人の健康な食生活に大きな役割を果たしてきた、お漬物の知られざる効用を解説してまいります。

カロリーを無駄なく、
効率よく吸収。
お漬物に
秘められた、自然のちから。

「日本人の歴史に
寄り添ってきた味わい」

かつては一家に一味といわれ、日々の食膳に必ずあげられていたお漬物。そのルーツをさかのぼれば、はるか縄文のいにしえに辿り着きます。海辺に住んでいた人々が野菜や果物を海水に漬けて食したのが、いわゆる塩漬けの元祖なのだそうです。粕漬、酢漬、味噌漬け、醤油漬けなどが誕生するのは、それよりずっと後の六世紀ごろのこと。大陸より麹を用いた醸造技術が伝来し、わが国でも酒や味噌、醤油などが本格的に醸されるようになり、お漬物がさまざまにつくられるようになったのです。

永き歴史を通じて、日本人の食生活にずっと寄り添ってきたお漬物。その味わいの奥深くには、健やかな暮らしを支えてきた大きなカギが秘められているのをご存知でしょうか。

「健やかさを保つに
不可欠な栄養素、酵素」

お漬物は、野菜を素材とした発酵食品のひとつ。発酵食品は酵母をもち、酵母には酵素が含まれており、酵素にはカロリーを増幅させるとともに無用なカロリーを吸収させない働きがあることが、最近の研究によって明らかにされています。つまりお漬物といっしょに食べれば、低カロリー食も理想的なカロリー食となり、さらには脂肪肥満なども防ぐこともできるのです。酵素はまた抵抗力や殺菌力を強めるという働きも持ち合わせており、健康を維持していくのに欠かすことのできない栄養素として注目を浴びています。

「乳酸菌をつくり、
野菜の発酵を促す塩分」

高血圧や動脈硬化などの「生活習慣病」予防のために、ここ最近減塩傾向が強まり、お漬物が家庭の食卓にあがる機会が少なくなっていると聞きます。確かにお漬物に塩はつきものですが、それは野菜の発酵を促す乳酸菌をつくるのに不可欠なもの。ちなみにお漬物(白菜、胡瓜、茄子、かぶ、人参)お皿ひともり分の塩分量は、およそ一・八グラム。一日の摂取量の目安が十グラム以下といいますから、全体のバランスを考えながら献立づくりをすれば、お漬物を控える必要はないといえるでしょう。

そうそう、京都のお漬物は塩気を抑えた「浅漬け」が主流。どうしても塩分が気になるという方は、一度お試しになられてはいかがでしょう。


平安の遊・藝

「投壺」

image大宮人に愛された遊戯。それは勝ち負けを決するものでも、雅びやかさが大事にされたと伝わります。古代中国で貴族たちにたしなまれたという投壺も、宮廷で風雅に愉しまれた遊びのひとつでした。

勝敗を分けたのは「芸術点」

座敷に置かれた壷の左右には、正座した大宮人が二人。それぞれが手に十二本の矢をもち、壷の口をめがけて矢を交互に投げ入れる。勝ちを決めるのは入った矢の本数のみならず、その入り方の美しさ、すなわち「芸術点」でした。

勝負にも洗練が求められた遊び、投壺。『源氏物語』や『枕草子』のなかにも、その雅びやかな様を見つけることができます。

「江戸時代に投扇興として甦る」

この投壺、もともとは周代の中国で宴の余興として生まれ、その後儀礼的な遊戯として貴族社会に広まったといわれています。礼儀作法を説いた儒教の教典『礼記』にも、投壺の遊び方が紹介されているほどです。

わが国に伝来したのは天平時代のことといわれ、奈良・東大寺の正倉院には唐の国よりもたらされた壷が保存されています。その後も投壺は貴族たちに社交ゲームとしてたしなまれますが、細かい礼式が面倒であったためか、人気は徐々に衰退します。しかし江戸時代の半ばに投壺をもとにしたとされる遊戯、投扇興が誕生。これは台の上に立てた蝶形の的をめがけて金銀の扇を投げ、落ちた的と扇の形によって得点を競う遊びで、酒の席でも、また女性や子供でも気軽に愉しめたことから大流行したそうです。投扇興はその後も時代を超えて受け継がれ、現在ではいくつかの流派が興されているほどです。

「百人一首にちなんだ採点形式」

人々に、雅びやかな遊びの粋を伝えた投扇興。得点の数え方ひとつを見ても、源氏物語の巻の名前を付けた数え方や、小倉百人一首に採られた歌の言葉を付けた数え方があるなど、風雅な趣を漂わせています。ちなみに小倉百人一首形式で最高得点に数えられるのは「かりほの庵」という形で、これは台の上に扇が水平に乗り、その上に的が乗るというもの。しかし同じ形でも、採点形式によって高得点になったり減点になることがあるそうで、そんな人生の機微を感じさせるところもまた、投扇興が永く遊ばれている理由なのかもしれませんね。


百人一首逍遙

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奥山に 
紅葉踏み分け 
鳴く鹿の
声聞く時ぞ 秋は悲しき

猿丸大夫

猿丸太夫は紀貫之や在原業平、小野小町らとともに「三十六歌仙」に選ばれた歌道の名人の一人。しかしその生涯は謎につつまれており、実在した人物であるかどうかもわかっていません。兵庫の芦屋、大阪の堺、長野の戸隠、新潟の東蒲原など日本各地に猿丸太夫ゆかりの社などがあり、墓と伝わるものも数ヶ所に残されているのだとか。一説には、柿本人麻呂と同一人物であるともいわれています。

今回ご紹介する歌も『古今集』においては「よみ人しらず」となっているのですが、『猿丸太夫集』という歌集に載せられていたため、猿丸太夫その人の作品として『小倉百人一首』の第五番目に撰されたのだそうです。

その大意は

人里離れた深山で、紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くとき秋のわびしさがひとしお身にしみるようだ。

とされています。繁殖期である秋は、山のところどころで雄鹿が妻恋いをするころ。散り敷いた紅葉を踏み分け、恋しさのあまりに鳴く鹿の声を聞いたとき、歌い手の胸にこみあげてきた悲愁の思い。この歌は、秋という季節がもつどこか物悲しい情感を、音のイメージを通して読み手に伝えてくれる一首ともいえるでしょう。

さて、この歌において重要な役割を果たしている鹿の鳴き声ですが、聞いたことがないという方も多いのではないでしょうか。先にも述べたように、雄鹿は繁殖期である十月から十一月ごろにかけて、自らの存在をメスやほかのオスに知らせるために独特な声で鳴くといいます。それは人の耳には「フィーヨー」あるいは「メフーン」と聞こえ、『日本書紀』にはその響きが「さやか(清らか)にして悲し」と表わされています。いったいどんな声なのか、秋色につつまれた山のなかで、この耳で聞いてみたいものですね。


小倉山荘 店主より

運命は、望む者を未来へと導き、望まぬ者を迷いへ引きずる。

どうしたらいいか。どちらをとるべきか。長い人生の間には思いがけない出来事が起こり、ハムレットのような心境になることが多々あります。

そんな、いわば運命的な転機が我が身に訪れたとき、しめたと思うか、しまったと思うか。その受けとめ方いかんによって、後の道筋は大きく変わってきます。どんなときでも前向きであれば進むべき先が見え、それはどんどん開けていくもの。一方、後ずさる気持ちが強ければ、迷いはいっそう深くなるばかりです。何の前触れもなしに起こる出来事にも意味があると考え、そこから何かに気づき、何かを学びとり、転機を好機に変えようとする心がけがいちばん大切ではないでしょうか。

今、たとえ順風満帆であるとしても、一寸先は闇であるのが世の常です。何もかもが目まぐるしく変わる昨今であれば、なおさらです。だからこそ、何事も前向きに受けとめる心を忘れることなく、人生という道を歩んでいきたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉