読み物

洗心言

2003年 初秋の号


伝承の花

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伝承の花【萩】
万葉の昔から、多くの詩歌に詠まれてきた萩。山上憶良が秋を代表する花の筆頭に挙げた花は秋の七草としてこんにちも、多くの人に愛されています。

自然の恩恵 共存の知恵

image平成十二(二○○○)年二月、スペースシャトル「エンデバー号」のカメラが、地球上のある不思議な風景をとらえ、話題を呼びました。大地に描かれた、大きな格子模様。それは北海道の根釧台地に広がる、防風林の姿でした。
人と自然とがひとつになることで生まれ出ずる、本当の豊かさをご紹介する「自然の恩恵 共存の知恵」。今回は、北海道の過酷な自然とともに生きようとした先人たちの取り組みについて、話を進めてまいります。

北の大地に実りを結ぶ、
根釧(こんせん)台地の防風林。

「宇宙からしか
見渡せない大スケール」

地球上空約二百三十三キロメートルの宇宙空間から、はっきりと確認された格子模様。その線の正体は、カラマツやエゾマツ、トドマツなどからなる林でした。幅約百八十メートル、長さ二~三キロメートルの林帯でかたちづくられた巨大な四角形が、碁盤の目のように広がる地の総面積はおよそ一万五千ヘクタール。甲子園球場三千八百個分のスケールを誇る格子模様のすべてを見渡そうとすれば、決して大げさな話ではなく、空の果てまで昇らないと無理なのかもしれません。

根釧台地にこのような林が育まれたのは、大正末期から昭和初期にかけてのことでした。その理由は、厳しさを極める自然条件から、農作物を守るためにありました。

「吹きすさぶ風に
立ち向かう天然の壁」

北の大地のまた北で、農作物を育てようと決意した人々の前に冷たく立ちはだかったもの。それは、オホーツク海からの風でした。身を切るような空気の塊は、人々が精魂こめて耕した土をまき散らし、必死に伸びようとする茎を容赦なくなぎ倒したのです。

しかし人々はあきらめることなく知恵をしぼり、人の力が及ばない自然の力には自然の力で対しようと木を一本、一本、大切に育てました。そしてついに、吹きすさぶ風から収穫を守る天然の壁、防風林を完成させたのです。

「野生動物の住み処
としての役割も果たす」

開拓時代、防風林は北海道各地で育まれ、豊かな実りを結んできました。しかし戦後、農法の変化や道路開発などの影響を受けて伐採が進み、現在も減少傾向にあると聞きます。そのようななか、根釧台地の防風林はいまなお活躍を続け、野生動物の住み処としても大きな役割を果たしています。平成十三年には道民の方々の意志によって「北海道遺産」に指定され、次代に引き継ぐための取り組みが進められています。

逆境のなかで、自然とともに生きる環境づくりに励んできた先人たち。彼らの熱い思いが描いた格子模様は共生のシンボルとしていつまでも、大宙(おおぞら)に美しい姿を誇り続けることでしょう。


平安の遊・藝

「偏継(へんつぎ)」

image大宮人の間でもてはやされた漢字にまつわる遊び、それが偏継です。
詳しいルールはわかっていませんが、自分なりの解釈で簡単に遊ぶことができるのです。

「字を知れば知るほどに
趣が増す遊び」

『源氏物語』や、藤原一族の栄華を綴った『栄花物語(えいがものがたり)』などの平安文学にも描かれている偏継。しかし、どのような遊びだったのかは詳しくわかっておらず、そのルールには諸説があります。漢字の旁(つくり)に偏(へん)をつけて字を完成させる、旁を隠して偏だけを見て文字を当てる、特定の偏をもつ字をいくつ知っているかを競う、などなど。

いずれにせよ、漢字をよく知っていなければ楽しめない遊びであることに変わりなく、一説には子どもの教育のために考案された遊戯ではないかともいわれています。

「光源氏も楽しんだ高尚な
遊戯、韻塞(いんふさぎ)」

文字を題材とした遊びとして、韻塞も宮中で人気を博したと伝えられます。これは韻字(韻を踏ませるために置く字)を隠した漢詩を見て、その韻字を当てるというもの。漢字のみならず漢詩に関する知識も要求される、たいへん高度な遊戯だったであろうことがわかります。

『源氏物語』のなかにも、光源氏が韻塞に秀でたことを思わせるくだりを見つけることができます。

「遊びながら、
日本語の美しさを知る」

漢字は、世界有数の表意文字。旁ひとつ、偏ひとつの誕生にもいわれがあり、その組み合わせによっていろいろな字がかたちづくれ、さまざまな意味を語らせることのできる「おもしろさ」をもっているのです。

ボタンひとつを押せば文字が現れるデジタル時代のこんにち、漢字のおもしろさを知る機会はたいへん少なくなりました。そこでいちど、大宮人の趣にならい、偏継を自分なりに楽しまれてはいかが。一問、一問に頭をひねるひとときは、漢字についての知識を深めるだけでなく、忘れかけていた日本語の美しさをあらためて気づかせてくれることでしょう。


百人一首逍遙

『小倉百人一首』に撰された歌にゆかりの深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
今回は宮城、雄島を訪ねました。

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見せばやな 
雄島の海人の 
袖だにも
濡れにぞ濡れし 
色は変はらず

殷富門院大輔
お見せしたいものです。雄島の海人の袖でさえ濡れても色は変わらないのに、私の袖は血の涙で染まりました。

歌に詠まれた雄島(おじま)は、こんにち日本三景に数えられる松島の多くの島のなかのひとつ。波おだやかな湾に、松の緑もみずみずしい二百六十もの島が浮かぶ絶景を、写真や絵画などではなく、俳聖、松尾芭蕉の句でご存知という方も多いことでしょう。

雄島は東西四十メートル、南北二百メートルほどの小さな島。古くから霊場として名を馳せた島にはかつて百八つの石窟があったといわれ、諸国の雲水(うんすい)が修業に励んだと伝わります。島の各地にはいまも、仏や菩薩像を彫りだした跡や板碑(いたび)(供養塔)を見つけることができます。

さて、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)が雄島にちなんだ歌を詠んだのは、本歌取(ほんかど)りのゆえといわれています。本歌取りとは古歌をふまえ、自分なりの解釈を盛りこんだうえで新しい歌を作る技法のこと。元となった歌は、源重之(みなもとのしげゆき)が詠んだ
松島や 雄島の磯に あさりせし 海人(あま)の袖こそ かくは濡れしか
という一首でした。

傷心を「涙に濡れた私の袖に匹敵するのは雄島の海人の袖ぐらい」と表した本歌に対して、「私の袖は濡れただけでなく、血の色に変わってしまった。見せたいほどに」と切り返した大輔。両者の歌を比べると、恋に対する男女の思いのちがいが見えてきそうですが、皆様はどのように思われたでしょうか。

また、ご自身が大輔の一首を本歌取りするとしたら、どのような気持ちを託されるでしょうか。これから迎える秋の夜長、過ぎ去りし日々の思い出をたどりながら、あるいは想像力をふくらませながら、恋のかたちにさまざまな思いを巡らせてみてはいかがでしょう。


小倉山荘 店主より

いつまでも、感謝する心を忘れることなく

image「人を感動させようとするなら、まず自分が感動せねばならない。そうでなければ、いかに巧みに描かれた作品でも決して生命が宿ることはない」。

「晩鐘」や「落穂拾い」など、農村に生きる名もない人々の姿を真摯な眼差しで見つめ、尊厳をこめて描いた作品で名高い十九世紀の美の巨匠、ミレーの言葉です。

芸術創造の原動力が感動にほかならないことを教えてくれるこの一言は、人生という作品づくりにも真実を言い得た至言といえます。

永い人生には実に多くの出会いがあります。風景、物、そして人。一つひとつの巡りあいをかけがえのないものと尊ぶ、一期一会の心をもてば、どんなに小さな出会いにも感動が生まれ、人生という名の大作に新たな息吹とさらなる奥行きを与え、みずみずしい輝きを放たせることができます。

いつまでも、出会いを喜ぶ心の純真さと、今日を生きることへの感謝の念を忘れずに、日々を過ごしたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉