洗心言
2004年 新春の号
伝承の花
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- 伝承の花【雪割草】
- 春の訪れを告げる花としていにしえより寵愛されてきた雪割草。葉が三つに分かれ、先が角のようにとがっているためにミスミソウとも呼ばれています。
自然の恩恵 共存の知恵
「医食同源」の理にかなった
理想的な健康料理、七草がゆ。
「平安時代にはじまった
宮中の正月行事」
清少納言の『枕草子』にも登場する七草がゆを、正月七日の朝に食べる行事がはじまるのは平安時代のことで、主に宮中で執り行われたと伝えられます。おかゆに入れられた若菜の種類については諸説があり、残念ながら正確なことはわかっていません。
こんにちに受け継がれているセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの、いわゆる春の七草が文献に登場するのは鎌倉時代のこと。七草がゆが庶民の間に広がるのは室町時代になってからといわれています。
さて、なにやら摩訶不思議な名前をもつ七つの若菜ですが、それぞれには豊かな薬効があることをご存知でしょうか。
「薬効豊かな七つの
若菜をバランスよく」
現代の食卓にも馴染深いセリには血圧を下げる効果があり、ペンペン草として知られる薬草、ナズナは消化機能を整える働きをもっています。ゴギョウはせき止め、ハコベラは胃弱、ホトケノザは筋肉の痛みなどに薬効があり、カブラ、大根としていまも身近なスズナとスズシロは消化促進やコレステロールの低下などに効果があるとされています。
このように薬効豊かな若菜をバランスよく、しかも消化よく食べられる七草がゆは「医食同源」の理にかなった優れた健康料理なのです。
「家族そろって
健やかな美味を楽しむ」
最近、スローフードという言葉がもてはやされています。これは、伝統的な食材を使った料理を通して健康かつ心豊かな暮らしを楽しむという運動だそうで、ならば七草がゆはうってつけのメニュー。七種類の若菜がすべて手に入らなければ替わりの野菜を使ってもいいでしょうし、七草だけで物足りなければ家族の好みに合わせて他の食材を加えてもいいでしょう。
そうしてできあがったおかゆを家族そろって暖かく囲み、健康への思いがこめられた美味しさをゆっくりと味わう。それは、家族の絆をいっそう強めるためにも、また、先人たちが育んだ素晴らしい食文化をさらなる未来へ引き継ぐためにも、たいへん意義のあるひとときといえないでしょうか。
平安の遊・藝
「独楽(こま)」
「かつては朝廷や
寺社の祭礼道具」
独楽は古くから世界中で楽しまれていたといわれ、古代エジプトの墳墓からも木製の独楽が発見されているほどです。日本の歴史に独楽が登場するのは奈良時代のことで、中国から高麗(こうらい)を経て伝来したものといわれています。一説によると、独楽という名前は高麗を表した「こま」という言葉に由来するものなのだとか。
当時の独楽は朝廷や寺社の祭礼行事に用いられていたそうで、遊びとして楽しまれるようになるのは平安時代になってからのことでした。貴族たちが貝殻でつくった独楽を、ムチやひもなどで叩いて回していたと伝えられます。
「財運や立身出世を
叶える縁起物」
独楽が一般的な遊び道具になるのは江戸時代に入ってからといわれ、大人や子どもの区別なく人気を博します。貝殻のほかに木や竹、さらには鉄でつくられた独楽が登場し、その種類も長く回すのを競うもの、すごろくのサイコロがわりに使うもの、他人の独楽を倒して遊ぶものなどさまざまでした。
また独楽は、回ることから財運をよくし、一本立ちすることから立身出世を叶える縁起物としても人々に親しまれました。
「独楽は一瞬、
地球は二万六千年」
ここからは理科の話を。くるくると回る独楽を頭に思い浮かべてみてください。回転速度が落ちて独楽がななめに傾くと、中心軸は回転しながら円を描きはじめますね。これを歳差(さいさ)運動といいますが、同様の動きを持つのがほかならぬ地球。なんでも地球の中心軸はななめに傾いていて、一日に一度回転しながら約二万六千年かけてぐるりと一つ大きな円を描くのだとか。
独楽はほんの一瞬、地球は二万六千年。気が遠くなるような差があるものの、動き方は同じ。そう思うと、独楽まわしのおもしろさもいっそう深まるものです。新しい年のはじまりに、地球の大いなる営みに思いを馳せながら、独楽まわしを楽しまれてみてはいかがですか。
百人一首逍遙
『小倉百人一首』に撰された歌にゆかりの深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
今回は兵庫、須磨と淡路を訪ねました。
淡路島
通ふ千鳥の
鳴く声に
いく夜寝覚めぬ 須磨の関守
- 源兼昌
- 淡路島へ飛び通う千鳥の物悲しい鳴き声に幾夜目を覚ましたことだろう、いにしえの須磨の関守は。
歌に詠まれた須磨の関とは、かつて播磨国(はりまのくに)と摂津国(せっつのくに)との境(現在の神戸市須磨区)に置かれた関のこと。西国から畿内への入口という要衝にあった須磨には七世紀中ごろ、伊勢の鈴鹿、美濃の不破(ふわ)、越前の愛発(あらち)に次いで関が置かれましたが、八世紀の終わりごろに廃止されたと伝わります。
淡路島は須磨の西南に浮かぶ瀬戸内海で最も大きな島。「国生(くにう)みの島(日本発祥の地)」の伝説をもち、 地名の由来は阿波国へと続く海路上にあったことによるのだそうです。現在、本州とは明石海峡大橋で、四国とは大鳴門橋で結ばれていることはご存知のとおりでしょう。
須磨と淡路島との間の明石海峡には、歌にも詠まれているようにたくさんの千鳥が飛び交ったといいますが近年、海岸の開発などによりその数が大きく減少。「ピル」、「ピルウ」、「ピイユ」という独特の鳴き声を聞くのも、むずかしくなっているのだとか。
この歌は十二世紀の歌人、源兼昌(みなもとのかねまさ)がいにしえの関守の心に想いを馳せて詠んだといわれる一首。読むほどに、冬をへき地で過ごす関守(せきもり)の孤独感がひしひしと伝わってくるような歌といえるでしょう。
さて、須磨といえば思い出されるのが『源氏物語』の須磨の巻。朧月夜(おぼろづきよ)との密会がばれて須磨に都落ちした光源氏が、侘び住まいで独り寂しく過ごす姿を描いた巻です。一説によると兼昌は『源氏物語』の読者だったそうで、この一首は同巻で源氏が詠んだつぎの歌の影響を受けたものともいわれています。
友千鳥諸声に鳴く暁はひとり寝覚の床も頼もし(千鳥が声をあわせて鳴く明け方は、独り寝覚めて泣く私も心強い。)
どちらの歌が物悲しく心に響くか、読み比べてみるのも一興でしょう。
小倉山荘 店主より
窮すればすなわち変じ、変ずればすなわち通ず
あけましておめでとうございます。皆様におかれましては、輝かしい新年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。
旧年中は、私ども「長岡京 小倉山荘」に格別のご愛顧を賜りまして誠にありがとうございます。
年もあらたまり、心もあらたまる初春ですが、心が「あらたまる」ことはすなわち「新しい魂を宿す」ことと申します。
リストラや倒産などの嵐に、世の中は大変な時期を迎えています。しかし、心をあらためて何事も前向きに考えれば、いかようにもなります。易経に「窮すればすなわち変じ、変ずればすなわち通ず」という教えがありますが、四季が巡るように必ず春は訪れるものです。
平成十六年が新しい門出の年となり、今までにないほど素晴らしい一年になりますことを心より願っております。
私どもも新しい魂を宿し、雅のお菓子づくりに日々精進を重ねてまいる所存です。本年も一層のご贔屓を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
報恩感謝 主人 山本雄吉