洗心言
2005年 仲春の号
伝承の色
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- 伝承の色【若草】
- 春の訪れとともに萌える、みずみずしい若草の彩りを再現した色。日本人に古くから好まれてきた色で、宮廷装束である襲(かさね)の色目にも使われている。
こころを彩る千年のことば
遥かいにしえより、先人たちは四季の営みをつぶさに見つめるなかで、さまざまな言葉を編み出してきました。それらは日本人の季節感や自然観を美しく、ときにはかなく映し、永き時を超えた今も私たちの心に薫り高い感動を与えてくれます。
新連載の「こころを彩る 千年のことば」では、そんな珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介してまいります。
「風が暖かに光り、
山が
清々しく笑う新しい季節」
今年もまた四季が移ろい、待ちわびた春を迎えました。一日、一日と日を追うごとに風が暖かに光り、山が清々しく笑う今日、この頃。そんな季節の変わり目の情景を、平安時代後期の歌人、源国信(みなもとのくにざね)はつぎのように表わしました。
春日野(かすがの)の 下萌(したも)えわたる 草の上に つれなくみゆる 春のあは雪
大意は、奈良の春日山麓には若草が芽生えはじめているにもかかわらず、それを素知らぬふりをするかのように、淡雪がいまだ居座っている。ふたたび巡り来る春と彼方へ去る冬が、あたかもせめぎ合うように同居する風景の趣を、情感豊かにたたえた味わい深い一首といえるでしょう。かの藤原定家もこの歌がたいそうお気に入りだったそうで、『小倉百人一首』とともに定家が編んだと伝わる歌集、『百人秀歌』にも撰されているほどです。
「歌にいきいきと息づく、
生命力に満ちた息吹」
この歌で、新しい春の訪れを印象的に表わしているのが「下萌え」という言葉。「下」は地中を、「萌え」は草木が芽を吹きはじめることを意味し、冬枯れの大地から緑が芽吹く様子をたとえた季語です。
雪に覆われた地の下で、じっと寒さを耐え忍んでいた若草の芽たち。その一つひとつがひっそりと、しかし力強く萌え出ずる姿は生命力に満ちた季節、春の息吹をいきいきと感じさせてくれます。そして今は小さな芽たちが季節の深まりとともにすくすくと育ち、やがて野一面をみずみずしい緑に染め上げる明日を思い浮かべると、心が知らずと弾み出すのは平安の昔も今も決して変わりはないでしょう。
「山や野原に出でて、
春の足音に耳を澄ます」
さて、言葉で「下萌え」の趣を感じた後はやはり、太陽のもとで春の息吹をとことん味わってみたいものです。天気がいい日には暖かな風に吹かれて、山へ、野原へ、川べりへお出かけになられてみてはいかがでしょうか。青空から降り注ぐ穏やかな陽射しをいっぱいに浴びながら足下を覗くと、そこにはきっと、我れ先を争うように顔を出す新芽たちの姿が見えるはずです。耳をそっと澄ませば、一歩、一歩近づいてくる春の足音が聴こえてくるかもしれません。
そのひとときは、忙しい日々のなかで忘れかけていたことを鮮明に気づかせてくれる、またとない時間になることでしょう。
平安のしきたりに学ぶ
「平安のしきたりに学ぶ
しつらいの巻」
『源氏物語』に
登場するしつらい
しつらいとは、室内の建具や調度品を、その場の雰囲気や季節の変わり目などにあわせて整える慣わしのこと。その起源は平安時代にまでさかのぼることができ、『源氏物語』をはじめとする文学作品にも「しつらい」という言葉が登場します。しつらいは漢字で「設い」、あるいは「室礼」と表わされますが、もともとは「造作する」という意味を持つ動詞、「厳ふ」に由来する言葉といわれています。
「しつらいを細やかに、
多彩に楽しんだ大宮人」
寝殿造りと呼ばれる平安時代の殿舎には固定された間仕切りがなかったため、大宮人たちは多彩な建具と調度品を用い、しつらいを楽しみました。竹を細く割って編んだ外からの目隠し「御簾(みす)」、上長押から垂らした布帛(ふはく)の帳(とばり)「壁代(かべしろ)」、山水などの絵画が趣深く描かれた「屏風(びょうぶ)」、人目を避けるために座の近くに置いた人の背丈ほどの高さの「几張(きちょう)」など、その種類は実にさまざまです。そしてそれらは、あらたまった儀式が執り行われるたびに新しく作り直され、季節の節目の訪れとともに取り換えられたのです。
一説に、彼らはしつらいを「装束」と呼んでいたといい、そこからは身につけるものと同じくらい細やかに、心をくばっていたことが伺えます。
「季節にあわせて身近な
しつらいを楽しむ」
このように書くと、しつらいはたいへん大掛かりで現代の暮らしには縁遠いもののように思えますが、四季の移ろいにあわせて身近な装飾品を変えるのもまた、立派なしつらいです。たとえば旬の花を一輪生けてみたり、お気に入りの絵を一枚飾ってみたりというように。それだけでもお部屋の雰囲気はずいぶんと変わるものです。
そうするうちに、いつしかしつらいが楽しくなり、つぎの季節の訪れが待ち遠しくなるもの。そのときにはきっと、日々の暮らしがいっそう心豊かなものになっていることでしょう。
名歌故地探訪
『小倉百人一首』に撰された歌にゆかりの深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
今回は大阪、住吉を訪ねました。
住の江の
岸による波
よるさへや
夢の通ひ路 人目よくらむ
- 藤原敏行
- 住の江の岸に寄せる波の「寄る」ではないが夜までもあなたは夢の通い路で、どうして人目を避けようとしているのだろうか。
今では想像もつかないことですが、干拓がはじめられる中世のころまで、大阪市の中心部には海が広がっていました。今回ご紹介するのは、そんないにしえの名残りを伝える一首。住の江は、現在の大阪市住吉区に鎮座する住吉大社のあたりで、歴史文献をひもとくと、歌が詠まれた九世紀後半の平安時代には神社のすぐ西側まで海岸線が迫っていたことがわかります。打ち寄せる波が速いことから「なみはや」と称され、「難波潟(なにわがた)」とも呼ばれた海岸は奈良時代に遣唐使の出港地として栄え、その後も西国へ旅立つ人々の舟乗り場として活気を呈しました。
こんにちの住吉大社界隈は昔ながらの町家や路地が残る住宅地で、大通りには最近では珍しくなった路面電車がのんびりと走ります。約千八百年の歴史を受け継ぐ大社は大阪の人たちから「すみよっさん」の愛称で親しまれ、正月の初詣でをはじめ四季折々に、広い境内はさまざまなお祭りや行事で賑わいます。
作者の藤原敏行(ふじわらのとしゆき)は清和(せいわ)、陽成(ようぜい)、光孝(こうこう)、宇多(うだ)、醍醐(だいご)の五天皇に仕え、近衛中将(このえちゅうじょう)、蔵人頭(くろうどがしら)、右兵衛督(うひょうえのかみ)などを歴任した人物。もちろん和歌にも優れ、柿本人麻呂や小野小町、紀貫之らと並んで三十六歌仙に選ばれています。また書家としても名高く、その揮毫ぶりは弘法大師と並び称されたほど。国宝であり、日本三名鐘の一つに数えられる京都、神護寺(じんごじ)の梵鐘に刻まれた銘は、敏行の筆によるものと伝わります。
これは蛇足ですが、敏行と在原業平は妻どうしが姉妹といういわゆる相婿の間柄で、敏行も業平に劣らぬ恋多き男性だったとか。人忍ぶ恋の切なさを女性の立場から見事に詠むことができたのも、豊富な恋愛経験の賜物だったのかもしれませんね。
小倉山荘 店主より
花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ
江戸時代の僧、良寛和尚が詠んだ詩です。この詩には、二つの自然の理りがこめられています。一つは、花は美しく咲こうとするのではなく、ありのままに咲くからこそ美しいという理りであり、もう一つは、自然の秩序はそれぞれが共存することによって保たれるという、和の心です。
この二つの理りは、私たち人間に大きな気付きを与えてくれます。他の誰かによく見られたいといった自意識に囚われると、人は本来の心の美しさを見失ってしまうものです。花が蝶に蜜を与え、蝶が花粉を運ぶように生きようと心掛ければ、人間関係は豊かに薫り、互いが幸せになれるのです。
春の到来を間近に迎え、そろそろ花の便りを聞くころとなりました。季節の盛りを謳歌するように咲く色とりどりの花たちを、良寛和尚の詩を思い浮かべながら愛でれば、また違った美しさや趣を感じることができるのではないでしょうか。
報恩感謝 主人 山本雄吉