読み物

洗心言

2006年 新春の号


伝承の色

image

伝承の色
【紅梅(こうばい)】
紅梅のみで染めた色。平安貴族たちに初春の色として好まれ、多くの文学作品にその名を見つけることができます。襲の色目としても知られています。

こころを彩る千年のことば

新しい年が明けました。何もかもが新しい、二〇〇六年の到来です。新たな年のはじまりは、私たちの心を清々しい歓びで満たすとともに、まだ見ぬ未来への希望を抱かせてくれます。
珠玉の言葉を昔の歌に訪ね、折々の季節にあわせてご紹介する「こころを彩る千年のことば」。今回は、「あらたま」という言葉にこめられた先人の思いを訪ねます。

「新しい時のはじまりを
告げるあらたま」

『古事記』にも登場する年や月の歌枕
あらたまの 年たちかへる あしたより 待たるるものは 鴬の声
これは平安時代の名歌人で、『小倉百人一首』の第二十一番の作者としても知られる素性法師の一首です。大意は「新年は元日の朝から心待ちにされるもの、それは鴬の鳴き声だ」。

旧暦の元日は現代の一月末から二月のはじめあたりで、それは梅が馥郁(ふくいく)と香り、その美しさを讚えるように鴬が鳴きはじめるころです。鴬の初音を聴くのを、何よりも楽しみにしていたという平安人。この歌は、新年を迎えた清々しい歓びとともに、彼らの鴬に寄せる思いのほどを如実に表わした一首といえるでしょう。

さて、歌の最初にくる「あらたま」は、年や月などにかかる枕詞。『古事記』にも登場するたいへん古い枕詞です。

「新たな時間、新たまる、
新たな魂、荒玉」

「あらたま」の語源は「新たな間(時)」、または「新たまる」といわれ、ゆえに「あらたまの年」は新しい年という意味になります。正月に歳神が家にもたらす「新たな魂」を語源とする説もあり、鏡餅はその魂をかたどったもの、お年玉は新しい魂の宿った餅を分け与えた習慣の名残りといわれています。

ところで、『万葉集』をひもとくと、「あらたま」を「荒玉」と記した歌を数多く見つけることができます。「荒玉」とは、その字が示すとおり磨かれていない玉のこと。それがなぜ、「新たな間(時)」を意味する言葉として用いられるようになったのか、不思議なことです。もしかすると、先人たちは、この世に出たばかりの荒玉に新しい時のはじまりを感じたのかもしれません。磨かれ、鍛えられ、やがて美しい輝きを放つ荒玉に、希望に満ちた明るい未来を思い描いたのかもしれません。

「日々を荒玉を磨く心を
もって生きる」

「あらたまの年」がはじまりました。今年の目標を、皆さまもすでに心にお決めのことでしょう。いままで続けてきたことを究める。未知の分野に挑戦する。何事においても、新たな心で取り組んでいただきたいと思います。

そして、希望に満ちた未来を迎えるためにも、荒玉を磨く心をもって日々を新たに生き、この一年を悔いのないようお過ごしいただきたいと心より願うばかりです。


平安のしきたりに学ぶ

「平安のしきたりに学ぶ 
吉書始めの巻」

餅つきなどとともに、年始に欠かせないのが書き初め。
新しい年の抱負を毛筆でしたため、 筆始めや初硯ともいわれる このしきたりのルーツは平安の宮中にありました。

「名文や名歌を
したためた吉書始め」

新年一月二日を迎えると、宮中の公家たちの間で吉書(きっしょ)始めという行事が執り行われました。その年に初めて汲んだ水、若水で墨をすり、文机の上に半紙を置き、まずは用意を整えます。そしてきちんと正座して姿勢を正し、筆に墨を含ませ、心を鎮めて字を書き上げたのです。

現在とちがい、当時はめでたい名文や名歌が書の題材として用いられたといい、書き上げられた作品は長押などに飾られました。

「吉書を火にくべる
小正月の左義長」

小正月(一月十五日)が訪れると、吉書や正月飾り、旧年のお札などが清涼殿の東庭に集められました。そして、陰陽師(おんみょうじ)が呪文を唱えるなか、これらを焼く左義長(さぎちょう)という行事が行われました。火に焼かれた吉書の燃えさしが空中に高く上がると字が上手になるといわれ、公家たちは燃えさしを飛ばす風が吹くのを心待ちにしたといいます。また、左義長の火にあたると若返る、餅を焼いて食べると病気をしないなどの言い伝えも生まれ、左義長は民間でも行われるようになりました。それが現在も日本各地に見られる、とんど焼やどんどん焼などと呼ばれる行事です。

平安時代以降、吉書は武家にも取り入れられ、江戸時代には寺子屋で行われるようになりました。書の神様と呼ばれた菅原道真の絵が飾られた部屋で、子どもたちはその年の恵方(えほう)(吉の方向)に向かって筆を進めたといいます。

「年始にゆるんだ心を
再び引き締める」

丁寧に段取りを踏み、静かな心で字をしたためる吉書は、またとない精神修養の方法です。お正月が過ぎた後でもかまわないので、一度じっくり取り組んでみたいもの。平安人のように名文や名歌をしたためるもよし、今年の抱負を書くもよし。筆の動きに全神経を集中させて、文字を一つひとつ書き上げていくひとときは、年末年始に少しゆるんだ心を、再びきりりと引き締めてくれることでしょう。


名歌故地探訪

『小倉百人一首』に撰された歌にゆかりの深い地をご紹介する「名歌故地探訪」。
今回は和歌山、由良を訪ねました。

image

由良の門を 
渡る舟人 
かぢを絶え
行方も知らぬ 恋のみちかな

曾禰好忠
由良の海峡をこぎ渡ってゆく舟人が、梶を失って行き先も わからないでいるように、どうなるか見当もつかない私の恋の道であることだ。

ゆらゆらと、揺れる心を印象的に物語る「由良(ゆら)の門(と)」。表題でその所在地を紀伊国の和歌山と記しましたが、丹後国(現在の京都府北部)の由良川河口とする説もあります。その理由は、作者の曾禰好忠(そねのよしただ)が丹後掾(たんごのじょう)という役職に就き、しばらくの間現地に赴いていたためです。

しかし、由良は紀伊国の歌枕として万葉時代から多くの歌に詠まれた言葉であり、好忠自身も『万葉集』に傾倒していたと伝わることから、ここでは紀伊国の由良(現在の和歌山県日高郡由良町)と解釈しました。その由良はリアス式の海岸が連なり、古くから難所として知られていたところ。現在、周辺は海洋公園として整備され、白い石灰岩の巨岩と紺碧の海が織りなす自然の造形美を楽しむことができます。話しが少しややこしくなりますが、淡路島にも由良町があり、こちらも「由良の門」と呼ばれていたそうです。

恋心のあせりを、技巧を凝らして見事に詠みあげた曾禰好忠。歌の才能には恵まれていましたが、たいへんな変わり者だったとか。寛和元年(九八五)に開かれた円融院(えんゆういん)の歌会に招かれてもいないのに押しかけ、「私のような名歌人を招かぬとは何事」などと言い張り、追い出されたという逸話が残されているほどです。その性格ゆえか、官人としても認められることがなく、不遇な人生を送ったといわれています。歌才が評価されはじめたのは、不幸なことに死んでからだったそうです。

蛇足ですが、丹後掾の役職に就いていたことから好忠は人々に曾丹後と呼ばれ、いつしか曾丹になりました。これは愛称というよりも蔑称だったようで、好忠はその呼び名をたいへん嫌っていたとか。偏屈な性格ゆえ、からかわれやすい人だったのかもしれませんね。


小倉山荘 店主より

苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり

あけましておめでとうございます。皆様におかれましては、輝かしい新年をお迎えのことと心よりお慶び申し上げます。

この言葉は、古代中国、殷(いん)の湯王(とうおう)が日々用いる洗面の器に刻みつけていたと伝えられています。明君と謳われた湯王は、毎日毎日、顔や手を洗うたびにこの文を読み、次々と襲ってくる挫折や絶望を断ち、去来する悪を反省して除き、新たな気分で一日を始めていたのです。

新たな気分で今日を始めるということは、いったん自己を否定することであり、それは素直な心がなければ到底できないことです。

人生に苦難や失敗はつきものです。逆に、運命が好転したときは知らず知らずのうちに傲慢になり、慢心を生み、不運を招き入れるものです。今日、苦悩や悲しみに傷ついても、そこで挫けず、耐えて明日を迎えましょう。運命が好転したとき、うまく行き始めたときも、日々新たにという言葉を三回繰り返し、「謙虚にして驕らず」で努力を根気よく続けましょう。

今年も、私どもは現状に決して満足することなく、人と人の心をつなぐ銘菓づくりにさらなる精進を重ねてまいります。本年も一層のご贔屓を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

報恩感謝 主人 山本雄吉