読み物

洗心言

2011年 初秋の号


四季彩の紋

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四季彩の紋【菊】
平安時代から観賞用の花として好まれた菊。後鳥羽上皇に愛されたことから、鎌倉時代より皇室の花となりました。

春夏秋冬 楽然・楽趣

日本が世界に誇る伝統文化には、日本独特の自然観が息づいています。それは、ありのままの自然が織りなす趣きを楽しもうとした、この国ならではの美意識。
自然を畏れ敬うことで、素晴らしい文化を生み出した先人のこころをご紹介する「春夏秋冬 楽然・楽趣」。今回は日本の伝統食についてのお話しです。

「季節の恵み、
旬を味わい尽くす」

秋刀魚、鰍(かじか)、鰹、南瓜(かぼちゃ)、松茸、無花果(いちじく)、栗、柿、米。これらは歳時記のなかの秋にかかわることば、すなわち季語。食欲の秋というように、これから美味しくなる海の幸、山の幸の名前をあげていくと枚挙にいとまがありません。

秋にかぎらず、日本人は古くから野菜や果物、魚の名前ひとつで季節を象徴的に表してきました。その根底には旬を尊ぶ精神があったといわれています。

旬とは食材がいちばん美味しい時期のことであり、日本料理でもっとも大切にされるのが旬。なぜならこの国では、いたずらに手を加えることなく、素材そのものの味を引き立たせる料理がなによりも好まれたためです。ちなみに、旬のはじまりを「走り」といい、最盛期を「盛り」といいます。

旬の食材が好まれたのは、美味しいからだけではありません。「初物七十五日」というように、日本では昔から初物、つまり走りの食材をいただくと寿命が七十五日、すなわちひと季節分延びると考えられていました。走りから盛りにかけては魚介類や作物の生命力が頂点に達するころであり、その時期に採れる食材がからだにもっとも良いとされていたのです。

そんな日本料理の伝統的な献立が一汁三菜。一汁は味噌汁、三菜は刺身や焼き魚、煮魚といった主菜と、大豆や根菜からなる二つの副菜。それぞれに用いられるのは旬の食材です。もちろんご飯も欠かせません。西洋化された今日の献立からすれば、少々物足りなく感じられることでしょう。しかし、タンパク質とビタミン、ミネラル、食物繊維、そして炭水化物がバランスよく摂れる一汁三菜は、からだに理想的な献立。しかも旬の作物ならビタミンなどの含有量が、同じく旬の魚なら魚油が他の時期より豊富なことが科学的に証明されているのです。

秋は鮎が「名残」の時節。走り、盛りに次ぐ名残は旬の終わりを意味し、この三つの言葉からも、日本人が旬を味わい尽くしていたことがわかります。ちなみに名残の鮎を「落ち鮎」といい、味噌田楽でいただくといっそう味わい深いもの。
季節感を満喫しながら美味しく、しかも健やかに。この秋は、旬にこだわるこの国ならではの食文化を楽しんでみませんか。


古都ごりやく散歩

「丸竹夷二押御池(まるたけえびすにおしおいけ)」の数え歌で知られる京都の通り。
そのつづき、「姉三六角蛸錦(あねさんろっかくたこにしき)」の「蛸」は蛸薬師(たこやくし)通りのこと。
数ある京都の通りのなかで、ひときわユニークな名前をもつ通りの名前は不思議な伝説を受け継ぐご利益スポットに由来します。

「蛸が見まもる
街なかのお堂」

蛸薬師通りは京都市の中心部を東西に横切る通りで、蛸薬師堂が位置するのは東よりの新京極通りと交わるところ。このあたりは京都随一の繁華街であり、こじんまりとした境内には多くの観光客や買い物途中の人々が参拝に訪れます。

蛸薬師堂は正式には浄瑠璃山林秀院 永福寺(じょうるりざんりんしゅういんえいふくじ)といい、そのはじまりは平安時代末期にまでさかのぼります。最澄(伝教大師)が彫ったと伝わる薬師如来の石像を本尊として、現在の室町二条に建立されました。堂が現在地に構えられたのは十六世紀の終わりころ。新京極通りのひとつ西、寺町通りに並ぶ他の寺と同じく、豊臣秀吉が天正(てんしょう)年間に行なった都市改造により移転させられました。

どこなくユーモラスな寺の通称はつぎの伝説に由来します。鎌倉時代中期の建長(けんちょう)年間に、善光(ぜんこう)という僧が病気の母に食べさせようと母の好物の蛸を市場で買い、箱に入れて寺にこっそり持ち帰ります。それを見た近所の人々は、お坊さんが生魚を買ったことを怪しみ、箱の中を見せるよう迫ります。困り果てた善光は本尊の薬師如来に、これは母の病気がよくなるようにと買ったものゆえ、どうぞお助けくださいと祈ります。すると不思議なことに、蛸の八本の足が八軸の経巻に変身。そしてふたたび蛸に戻り、門前の池に入って瑠璃光を放つと、母の病気はたちまち良くなりました。それ以来、薬師如来は蛸薬師如来と称され、諸病回復や子授けなどのご利益があるとして、人々の信仰を集めるようになったのだそうです。

現在、本尊の薬師如来は秘仏とされ、八年に一度開帳されるとのこと。次回は平成二十八年に予定されています。そのかわりといってはなんですが、本堂には木彫りの御賓頭盧蛸(おびんずるだこ)が鎮座。「なで薬師」と呼ばれるこちらは、左手で触れるだけですべての病が癒されるという、たいへんありがたい蛸。多くの人になでられているせいか、いつもぴかぴかに輝いています。

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御賓頭盧蛸(おびんずるだこ)


百人一首 永久の恋歌

平安人の恋のかたちに心を寄せる「百人一首 永久の恋歌」。
今回は、後京極摂政前太政大臣の名歌をご紹介します。

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きりぎりす 
なくや霜夜の 
さむしろに
衣片敷き 独りかも寝む

後京極摂政前太政大臣
こおろぎが鳴く、この霜の降る夜、寒々とした閨(ねや)のむしろの上に衣の片袖を敷いて、私はただひとり寂しく寝るのであろうか。

この歌は、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の第三番、「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む(山鳥のたれ下がっている尾がいかにも長いように、なんとも長い夜をわたしは愛する人の訪れもなく、ただ独り寂しく寝なければならないのだろうか)」を本歌としたもの。どちらの歌にも、ただでさえ人恋しさが募る秋の夜を、孤独に過ごさなければならない身の辛さが詠われています。

その切なさを如実に表わしているのが、「衣片敷(ころもかたし)き」ということばです。誰かとともに寝るときは、お互いの衣の袖を敷きかわすのに対して、独りで寝るときは自分の衣の片袖だけを敷くことから、衣片敷きは恋人と一緒に過ごせぬ、侘しい夜の代名詞のように使われていました。

ところで、平安時代の「きりぎりす」はいまでいうコオロギのこと。誰に聞かすでもなく、夜を通して所在なげに鳴く声を思い浮かべるだけで、物寂しい歌にいっそう深い哀愁が漂います。

後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだじょうだいじん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて生きた公卿、藤原(九条)良経(よしつね)のこと。名家に生まれ、第七十六番の作者、法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじのにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)を祖父に持つ良経も順調に出世を重ね、三十五歳の若さで太政大臣の座に登りつめます。

歌人としても優れた才能を発揮した良経は、後鳥羽(ごとば)院の寵愛を受け、『新古今和歌集』の編纂などにたずさわります。また、良経が開催した六百番歌合は、その規模と作品の素晴らしさから、もっとも優れた歌合といわれています。

しかし、栄華は長くはつづきませんでした。良経はある夜、寝床で何者かに天井から槍で刺され、絶命してしまうのです。享年わずか三十八歳。犯人は見つからず、暗殺の理由もわかっていません。


小倉山荘 店主より

絆のこころ

最近ときどき「昔は良かった」という言葉を耳にしますが、いったい何が良かったのでしょう。きっとそれは、人と人の「絆」が、もっと実感できたことではないでしょうか。

ほとんどの人が携帯電話を持ち、一家に一台コンピューターがある時代。デジタルの世の中になればなるほど、簡単にメールでやり取りができ、ますますこころと言葉と笑顔で、人と真摯に向かい合う機会が少なくなっています。

そのような中で、人は誰しも「自分を分って欲しい」という気持ちを抱き、本当に自分を思ってくれている気持ちに、こころの安らぎを感じるのではないでしょうか。

時間をかけてにじみ出てくるような、こころの潤いを大切にするためにも、今こそ人と人の「絆」を、もっと丁寧に結んでいきたいものです。

報恩感謝 主人 山本雄吉