読み物

わたしたち

2019年 こころも色づく晩秋


絆をむすぶ小冊子

わたしたち

鮮やかにあたたかにこころも色づく晩秋

相手を想う心をかたちに託し
互いの絆を強めるクリスマス

そろそろ、クリスマスの季節が近づいてきました。一年の締めくくりを飾る大イベントに、欠かせないのがプレゼント。

ことし、サンタクロースはどんなプレゼントを用意してくれているのだろう。ずっと欲しいと思っていたあれかな。もしかするとサプライズがあるかも・・・。
毎年、街なかにジングルベルが響きはじめるとワクワクして、その日が待ちきれなかった。

子どものころは、プレゼントをもらうばかりだった。だけど歳を重ねて出会いを重ね、自分も家族を持つようになって思いはじめたことがある。それは、プレゼントは贈る相手のしあわせを願う証し、ということ。

このことに気づいてからは毎年、クリスマスの訪れが昔とはまたちがった意味で、待ちきれなくなった。

相手のことを考えに考えて、選んだプレゼント。喜んでくれるかどうか気がかりだった分、その包みを開けた瞬間、はじける笑顔を見たときのうれしさは格別。

両親も、きっとそう思っていたにちがいない。スポーツが得意な子どもに育ってほしい。本好きのひとになってほしい。世界へ飛び出すという夢を叶えてほしい。
プレゼントを選ぶとき、わが子のいまとこれからのために、いろいろな想いをめぐらせていたのだと思う。プレゼントはその想いの表れであり、いま振り返ると、両親の気持ちは何ものにも代えがたい。だから、その気持ちを大切に受け継ぎたい。

相手のしあわせを願い、お互いの絆を強めるクリスマス。ことしはだれに、どんな想いをかたちにして贈ろうか。サンタクロースになったつもりで、とびきりの笑顔を想像しながら、あれこれ思い悩むのも楽しみのひとつです。


わたしのありがとう物語

長岡京、小倉山荘の社員が体験した、忘れられない「ありがとう」。

第五回は、大阪髙島屋店・川越崇央の物語です。

わたしが店長を務める店舗に、『想い出ファイル』と名付けた一冊のファイルがあります。そこには、この店舗から巣立っていったメンバーからの手紙が収めてあり、それはわたしの成長の記録でもあります。

初めて手紙を受け取ったとき、わたしは店長になってまだ経験が浅く、毎日が試行錯誤の連続でした。店舗は店長一人で成り立つものではなく、みんなの力が必要です。
では、どうすればメンバーが、元気に働ける店舗をつくれるか。わたしは同僚に相談したり、自問自答を繰り返す中で、つねにメンバーの立場になって物事を考え、ともに成長するという気持ちでみんなと接することに決めました。

お客様と上手に話せないメンバーがいればその解決策を一緒に考え、誰かが手が離せないときは進んでサポートをし、どんな些細なことにも互いに「ありがとう」と言う。
時に悩みながら自分なりの方法で店づくりに励んでいたある日、一人のメンバーがバレリーナになる夢を叶えるために、店舗を卒業することになりました。最後の日、彼女から渡された手紙にはこれまで自分を支えてくれたことへの感謝と、店舗で学んだことやお客様から教えられたことをこれからの人生に役立てたいという抱負が綴られていました。
その文面を見て、わたしは涙をこぼしながらも、自分のやり方に少し自身を持つことができました。

その後も、画家になるために、中国で卓球選手になるためにと、何人かのメンバーが夢の実現に向けて店舗を巣立っていきました。
みんな頼りがいがあってお客様の信頼も厚い、優秀なメンバーに育ってくれていました。そんな彼ら彼女らが残した手紙にも、「ありがとう」という言葉が綴られていました。

人はみな、自分一人の力では何もできない。誰かに支えられて、きょうの自分がある。ファイルを開くたびに、そんな思いがこみ上げてきます。
このことに気づけば自然と感謝の心が芽生え、その気持ちを相手に伝えることで「ありがとう」の輪が広がっていく・・・。これからも感謝の気持ちを大切にして、みんなが楽しく働ける明るい職場をつくっていきたいと思います。



珠玉の歌に詠われた、人が人を想う気持ち

こころでよむ『小倉百人一首』

いまはただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな

作者である左京大夫道雅と三条天皇の第一皇女、当子内親王との悲恋が詠われた第六十三番。
三条天皇の譲位に伴い、伊勢の斎宮の任を解かれて帰京した内親王に惹かれた道雅は、内親王のもとに通うようになりました。
しかし、内大臣であった父の藤原伊周が失脚し、道雅の家は没落。秘かに愛をはぐくんでいた二人でしたが、やがて密会の噂が三条天皇の知るところとなり、二人の仲は引き裂かれてしまします。

今となっては、ただあきらめようという言葉だけを、人づてに伝えるのではなくあなたに直に会って伝えたい。そういう方法はないものだろうか。

三十一文字に込められたのは、あきらめるにせよ、せめてもう一度だけ愛する人に逢いたいという願い。
しかしそれが許されることはなく、内親王も道雅に逢えない苦しみに耐えきれず、十七歳の若さで出家。二人の無念の想いは、千年の時を超えた今も人のこころを打ちます。


書いて、整心 そっと、一息

一期一会 第五回

言葉の意味を噛みしめながら一文字ひと文字書いてみましょう。

行雲流水

【行雲流水(こううんりゅうすい)とは】

信念も度が過ぎると、生きづらさにつながるもの。行く雲や流れる水のように、自然に任せて生きることも大切。


森の分かれ道では人の通らぬ道を選ぼう。
すべてが変わる。

分野がちがっても、偉業を成し遂げた人にはそれぞれ共通点があります。それは決して人と同じことはしないということです。皆が右を向いたら、あえて左を見る。するとそこには、誰も知らない世界が広がっているはずです。人が十回しかしなければ、二十回やってみる。そうすれば、誰も見たことがない新しい未来が開けるはずです。

表題はアメリカ人の詩人、ロバート・フロストの言葉です。大いなる変革を目指したケネディ大統領は、フロストの言葉を座右の銘にしたといいます。

これからの人生、歩みの途中で分かれ道に立てば、ぜひ人の通らぬ道に次の一歩を踏み出す勇気をもちたいものです。最初はたとえ小さな一歩でも、その歩みは、かならず大きな未来へとつながるはずです。

報恩感謝 主人 山本雄吉