読み物

わたしたち

2020年 ふたたび訪れる日々に思いを馳せて


絆をむすぶ小冊子

わたしたち

ふたたび訪れる日々に思いを馳せて

絆が強まり雨の日も楽しくなる相合傘

今年もはや、梅雨の季節となりました。毎日のように、しとしと降る雨はうっとうしいものですが、子どものころは雨の日が待ち遠しかったものです。

新しく買ってもらった傘や長ぐつが誇らしくて、それを一日も早くさして、履いて、友だちに自慢したかった。
「あめあめ ふれふれ かあさんが・・・」の歌のように、親と一つの傘の下、家に帰るのも嬉しかった。

大人になると、好きな人との相合傘にときめいた。同じ傘の中にいると、心の距離も近くなるような気がして、傘が二つあるのに一つだけさして、わざと遠回りしたこともあった。

お互い、片方の肩がずぶ濡れになったけど、それが相手をいたわる証しのようで、そう思うと相合傘は「相愛傘」なのかもしれない。

もう少し時間がたって世の中が落ち着いたら、大切な人と久しぶりに、一つの傘を分かちあってみませんか。二人の絆がもっと強まり、昔のように、雨の日が待ち遠しくなるかもしれません。


わたしの歩みものがたり 第7回

長岡京、小倉山荘の社員がふりかえる、今も心にのこる出来事。

第八回は、西丹波工場・早瀬隆です。

わたしは入社からせんべい作りに携わり、生地の乾燥と焼き工程で経験を積んだ後、生地作りを担当することになりました。
最初に上司から、「良い生地があって初めて美味しいせんべいを焼ける。生地の質が安定していないと、お客様にお出しできるせんべいは作れない」ときつく言われ、生地の乾燥と焼きをマスターしたわたしは、生地作りも簡単にできると考えていました。

しかし、その自信はすぐに崩れました。
生地作りは、水にひたした米を粉にして、それを蒸して餅にすることから始まります。この作業を一日に何度も繰り返すのですが、その際、米の水分量を常に適量に保たなければならないのです。
頼りになるのは指の感覚です。上司はたったひと掴みで、米の水分量が適切かどうかを正確に完治していましたが、それは自分にとって至難の業のように思えました。

自分のせいで美味しい製品が作れなくなったらどうしよう・・・。一時は、弱気になりプレッシャーに押しつぶされそうになりましたが、「弱気は最大の敵、『やる気』があるか、ないかが一番大切ではないか・・・」そう自分自身に言い聞かせ、覚悟を決めました。

適切な水分量を正確に感知できるよう、米の感触や温度を指先で確かめては、その水分量を計測する作業を何度も何度も繰り返しました。
それも同じことを繰り返すのではなく、今日は人差し指と親指で、今日は五本の指でというように、いろいろと新しいことに挑戦してみました。

さらに、米を水にひたす時間や粉を蒸す時間を変えたりと、毎日毎日、違う試みを行いました。そうこうしている内に、米の質や季節によって製品の仕上がりに違いがでてくることがわかるようになりました。
そして数ヶ月後、指先の感覚をひたすら鍛え、米の性質と気温、湿度との関係が少しずつわかるようになり、先輩からも「今日は良い生地ができているね」と褒めてもらえるようになりました。

私はこの経験を通して、「今の自分の技術や能力を持って、できる、できないと考えることは誰しも考えること。しかし、それでは自分の可能性を自ら否定してしまっている」そのように考えるようになりました。

昨日より今日、今日より明日、一番美味しいと言ってもらえるように、これからも新たな挑戦を続けていきたいと思います。



珠玉の歌に詠われた、人が人を想う気持ち

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 
われても末に あはむとぞ思ふ

川の瀬の流れが早いので、岩に堰かれて二つに分かれる急流もやがて、また一つに合流するように、今はあなたとの仲をさかれていても、いつかは必ず逢おうと心に決めているのです。

逢いたくても逢えない恋人への一途な想いが、自然の情景にたとえられた崇徳院の第七十七番。まず、心ならずも離ればなれになった二人の姿が、激流が岩にせき止められて二つに割れる様子に見立てられています。

そして、やがて再び一つになる流れに、どんなことがあっても将来、また一緒になろうという強い決意が込められているのです。

崇徳院は五歳で即位し、第七十五代の天皇となりました。しかし、若くして近衛天皇に譲位させられ、その後、保元の乱を起こして敗れてしまいます。そして讃岐に流され、悲憤の中で崩御しました。一説によると、この歌は崇徳院の将来にかける執念が詠まれたもの、といわれています。それだけ激烈な想いが、三十一文字に込められているのでしょう。


書いて、整心 そっと、一息

一語一会 第8回

言葉の意味を噛みしめながら一文字ひと文字書いてみましょう。

破顔一笑

【破顔一笑(はがんいっしょう)とは】

顔をほころばせて笑うこと。笑う門には福来たるというように、
にっこり笑えばきっといいことがあるはず。


太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

フリードリヒ・フォン・シラー

十八世紀のドイツの詩人、シラー(1759〜1805)は、希望を持って生きることの大切さをこのように語りました。人生は時として希望を無くする出来事もたくさん起こります。そんな時、今直面している試練は、私に何を呼びかけているのだろうか、何に気づけ、何をせよと言っているのだろうか・・・、一時立ち止まり、考えを巡らせてみてはいかがでしょうか。

ギリシア神話の「パンドラの箱」では、パンドラが好奇心に誘われるまま開けた箱からあらゆる災厄が飛び出します。箱を開けたことを後悔し、言いようもない不安にかられたパンドラは、箱の中にたった一つ残っていた「希望」を見つけます。すると、それはパンドラに対して「私のことに気づいてくれないと、わたしは人を支えてあげることはできない。だから、いつも私のことを思い出してください」と言います。

たしかに、希望は太陽のように消えることはありません。しかし、自らがそれを持ちたいと思わなければ決して輝いてはくれません。希望の光りを取り戻したいと願うならば、苦しみや悲しみを糧にする気概で、自らそれを手繰り寄せるしかないのです。

報恩感謝 主人 山本雄吉