『小倉百人一首』
あらかるた
【267】名教師俊恵の教え
鴨長明が伝える恩師俊恵
鴨長明(かものちょうめい)は『方丈記』と同じころ、
歌論随筆『無名抄(むみょうしょう)』を書き上げました。
和歌の伝統的な決まりごとや慣習、師や先輩の教え、
見聞きした有名歌人の逸話、長明自身の体験談などが
エッセイ風の軽妙な筆致で記されています。
長明は青年時代に俊恵(しゅんえ 八十五)の
和歌サークルに参加して教えを乞うていたことがあり、
『無名抄』には恩師俊恵がたびたび登場します。
たとえばこんな話があります。
ある歌合(うたあわせ)で小因幡(こいなば)という女房が
こういう歌を詠みました。
惜しむべき春をば人にいとはせて そら頼めにやならむとすらむ
去りゆくのを惜しむはずの春を
早く去ればよいのにと思わせておいて
(夏になったら会おうというあなたの約束は)
むなしい期待に終わってしまうのでしょうか
惜春(せきしゅん)という言葉があるように、
過ぎ行く春を惜しむのは詩歌の世界の常識でした。
しかし作中の女性は、男の約束ゆえに春を厭(いと)い、
ひたすら夏を待っていたのです。
この歌の評判は上々だったのですが、
なかには異を唱える人がいました。
「春をば人に」では曖昧だ。
「春をば我に」にすれば意味がわかりやすくなって
さらによい歌になるだろうと。
この意見に俊恵はこう言いました。
がっかりすることをおっしゃいますな。
「人に」というのを他人のことだと思うでしょうか。
「我に」にしたら品がなく聞こえますよ。
わたしなら「人に」と詠むでしょう。
和歌の名教師
俊恵と同時代の藤原俊成(しゅんぜい 八十三)は
幽玄を唱えたことで知られています。
長明が『無名抄』に書き残した師の言葉の数々を見ていくと、
俊恵もまた優美さや余情を重んじていたことがわかります。
余情は言うなれば奥ゆかしさ。
不安だと書かずに不安を表現し、
素晴らしいと言わずに素晴らしさを伝える歌が望ましいのです。
小因幡の歌は、恋人が夏に会おうと約束したとは
どこにも書いてありません。
約束が果たされないまま夏が終わりそうで不安ですとも
言っていません。
それでも読み手は、
状況や心情を無理なく察することができます。
「人に」を「我に」に変えたら
表現が直接的、説明的になってしまい、
せっかくの奥ゆかしさが失われかねません。
俊恵は若い歌人たちに、古今の歌のあれこれを
実例として示しながら教えていたようです。
『無名抄』を見るかぎりその解説はわかりやすく、
さぞ優れた教師だったのでしょう。