読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【276】梅にうぐいす


輸入された風流

梅にうぐいす。この組み合わせは
昔から詩歌や絵画に描かれ、日本独自の文化のように思えますが、
梅は中国原産、梅花に戯れるうぐいすは漢詩の題材でした。

奈良時代の『懐風藻(かいふうそう=日本最古の漢詩集)』や
『万葉集』に見られる「梅にうぐいす」は、
当時の上流階級あこがれの国、中国からの輸入品だったのです。

その後平安時代に入って
花の主役が梅から桜に移っても「梅にうぐいす」は残りました。
『拾遺和歌集』はこのような歌を載せています。

《詞書》
内より 人の家に侍りける紅梅をほらせ給ひけるに
うぐひすの巣くひて侍りければ
家のあるじの女 まづかくそうせさせ侍りける

勅なればいともかしこし うぐひすの宿はと問はゞいかゞこたへむ
(拾遺和歌集 雑 よみ人知らず)

《詞書》
内裏からの命令で人の家にある紅梅を掘らせようとなさったところ
うぐいすが巣を作っていましたので
家の主の女が まずこのように申し上げました

陛下のご命令ですからたいへん恐れ多いのですが
うぐいすがわたしの家はどこへ行ったのかと尋ねましたら
どのように答えたらよろしいのでしょう

『拾遺和歌集』の百年ほど後に成立したとされる
『大鏡(おおかがみ)』にも同じ歌が出てきますが、
話は若干食い違っています。

清涼殿(せいりょうでん=天皇の日常の居所)の梅が枯れたため、
その代わりにとある家の梅をもらい受けてきたところ、
枝に上記の歌が結びつけてありました。

歌を読んだ村上天皇が調べさせると、
その家の主は紀貫之(きのつらゆき 三十五)の娘
紀内侍(きのないし)だったというのです。

これが鶯宿梅(おうしゅくばい)の故事としてよく知られる話。
『拾遺和歌集』より有名かもしれません。


これぞ理想の組み合わせ

うぐいすが巣を作るのは、ふつうは笹の陰です。
鶯宿梅の「宿」はうぐいすが「留まる」と解釈したほうがよさそうです。

また梅を訪れる鳥はうぐいすと決まっているわけではなく、
雀(すずめ)も目白(めじろ)も鵯(ひよどり)も
梅の枝にやってきます。

「梅にうぐいす」がことわざとして定着したのは
江戸時代くらいからだそうですが、その意味は
「理想的な組み合わせ」「よく似合うもの」です。

春きぬと人はいへども 鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ
(古今和歌集 春 壬生忠岑)

鶯の谷よりいづるこゑなくは 春くることをたれか知らまし
(古今和歌集 春 大江千里)

鶯(うぐいす)が鳴かないと春が来たとは思えないという
壬生忠岑(みぶのただみね 三十)。
うぐいすが谷から出てきて鳴かないなら
誰も春が来たとは気づかないだろうという
大江千里(おおえのちさと 二十三)。

うぐいすには春告げ鳥という異名があります。
そのうぐいすが、春を告げる花である梅の枝でさえずっている。
これこそ「待ってました」の理想的な光景ですね。
そう考えると「鶯宿梅」という風流な名前も、
春への憧れを秘めているように思えてきます。