読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【245】たなばたの糸


技芸の上達を願って

かつて七夕のことを
乞巧奠(きっこうでん)と呼んでいた時代がありました。
意味は「巧みになるように乞う奠(てん=供えもの)」ということ。

奈良時代に中国から伝わったもので、
織女星に機織り(はたおり)の上達を願って
女たちが五色の糸を供えたのだそうです。

同時に男たちが星に詩を捧げることも行われていて、
これが文月(ふづき/ふみづき)の語源だとも。

日本の童謡『たなばたさま』に
「ごしきのたんざく(五色の短冊)」という歌詞がありますが、
これは五色の糸と詩歌献上の流れを汲む風習なのでしょう。
機織りだけでなく、短冊に文字を書いて
書道の上達をも願うようになったといわれているからです。

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)に
こういう一首があります。

たなばたにかしつる糸の うちはへて年の緒ながく恋ひやわたらむ
(古今和歌集 秋 凡河内躬恒)

織女に供えた糸のようにずっと長くいつまでも
何年もあの人を恋することになるのだろうか

願いの糸は出てくるものの、
その長さが時間の長さに重ねられ、内容は恋の歌になっています。
おなじように和泉式部(五十六)も

七夕にかして今宵のいとまあらば 立寄りこかし天の川浪
(玉葉和歌集 恋 和泉式部)

織女に供えた糸…じゃないけれど
今夜暇(いとま)があったら 彦星のように天の川の波を越えて
立ち寄ってくださいな

「糸」と「暇」を掛詞にして男に贈った、これも恋の歌です。
歌人たちには機織りや文字の上達より
恋のほうが歌に詠みやすかったのでしょう。


道綱母子の七夕の歌

星合(ほしあい)という言葉があるように、
七月七日は天上の男女の逢瀬(おうせ=密会)の日。
道綱母(みちつなのはは 五十三)は
このように詠んでいます。

天の川七日を契る心ならば 星合ばかりかげを見よとや
(蜻蛉日記)

七月七日にと約束なさるおつもりならば
(実際はおいでにならないで)
天の川の星の出合いだけ見ていろということはありますまいね

息子の道綱にも七夕の恋の歌があります。
なびく気配さえない女に贈ったというもので

七夕にけさ引く糸の露をおもみ たわむけしきを見でやゝみなむ
(詞花和歌集 恋 大納言道綱)

七夕の今朝 蜘蛛(くも)の糸が露の重さにたわんでいる
そのようすを見ないでおくとしよう

七夕の日に蜘蛛が糸を引くと願いがかなうという俗信があったとか。
その糸が露で切れそうだから見ていられないというのです。

糸を紡ぐ生き物である蜘蛛に
糸にまつわる仕事が上達するかどうか占わせるのは中国の風習でした。

日本の七夕は乞巧奠に民間の星祭りが習合したものだとか。
蜘蛛の糸の占いなどは早くに忘れ去られ、
独自の変化を遂げて現在に至っています。