『小倉百人一首』
あらかるた
【246】京都のお盆と小野篁
六道の辻
京都東山に六道(ろくどう)さんと呼ばれる古刹があります。
正式には大椿山(だいちんざん)珍皇寺(ちんこうじ)といい、
毎年八月七日から四日間行われる六道まいりは
京都の夏の風物詩として知られています。
これはお盆の準備です。
まず参詣者は水塔婆(みずとうば)に戒名を書いてもらい、
その音が冥土(めいど)まで届くという迎えの鐘をつきます。
つぎに参道の屋台で買い求めた高野槇(こうやまき)の葉で
水塔婆へ水むけ(=水回向:みずえこう)をするのですが、
その場所には小さい石仏がたくさん並んでおり、
賽(さい)の河原というのだそうです。
鐘の音に呼び出された精霊(しょうりょう)はここで高野槇の葉に宿り、
参詣者とともに我が家にもどることになります。
山門の脇には「六道の辻」と刻まれた碑があります。
これは六道へ通じる道、わかれ道を指す言葉。
六道は六道輪廻(ろくどうりんね)の六道のことで、
人は死ぬと地獄道、餓鬼(がき)道、畜生(ちくしょう)道、
修羅(しゅら)道、人間道、天道のいずれかに生まれ変わるというもの。
六道さんの門前にこの碑があるのは、
この地が冥土の入口といわれていたなごり。
古くからの葬送所だった鳥辺山(とりべやま)のふもとですから、
自然にそう考えられるようになったのでしょう。
あの世に通う井戸
六道さんの境内には冥土へ通じるという井戸があります。
この井戸を使ってこの世とあの世を行き来していたというのが、
「わたの原」で知られる百人一首歌人
小野篁(おののたかむら 十一)でした。
昼は朝廷で官僚としての仕事をこなし、
夜はこの井戸を通って閻魔大王(えんまだいおう)の宮殿に行き、
そこでも役人として働いていたというのです。
驚異の二重生活! 働き過ぎの日本人!
官僚としても詩人としても天下無双と讃えられていた篁が、
どうしてそんなことに…。
六道さんの閻魔堂は別名を篁堂(たかむらどう)といって、
篁が寄進したという言い伝えがあります。
篁と閻魔大王にはつながりがあったのです。
寺そのものが篁の創建であるという説もあり、
篁はこの土地にもともとゆかりのある人物だったのかも。
また『古今和歌集』にある、妹の死を悼む一首、
なく涙雨とふらなん わたりがは水まさりなばかへりくるがに
(古今和歌集 哀傷 小野篁朝臣)
わたしの涙が雨になって降ればよいのに
渡り川(=三途の川)の水かさが増せば
(妹は渡ることができずに)帰ってくるだろうから
篁は妹の死によって
若いうちから死後の世界を意識していたと考えられています。
冥土往来伝説の主人公にはふさわしい人物だったのでしょう。