読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【249】袖を濡らす涙


袖を濡らす涙

百人一首で涙を詠んでいるのは二人の僧侶歌人、
道因(どういん 八十二)と西行(さいぎょう 八十六)です。

実際はほかにも五人が涙を詠んでいるのですが、
涙という文字は使わず「袖」で涙を表現しています。

音に聞く高師の浜のあだなみは かけじや袖のぬれもこそすれ
(七十二 祐子内親王家紀伊)

あの有名な高師の浜のあだ波のような
浮気なあなたにかかわりたくないわ
袖が濡れてしまいますから

祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)は
涙で袖が濡れると詠んでいます。
「袖を濡らす」は泣くこと、涙を流すことを示します。

恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそをしけれ
(六十五 相模)

つれない人を恨む涙に袖が濡れて乾くひまもないのに
そのうえ恋のうわさでわたしの名が朽ちていくのが惜しいのです

相模(さがみ)は濡れた袖が乾かないといいます。
では乾かない袖は、どうすればよいのでしょう。

契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山浪越さじとは
(四十二 清原元輔)

誓いましたよね 涙に濡れた袖を絞りながら
末の松山を波が越すことがないように
ふたりの思いも変わることはないと

元輔(もとすけ)は袖をしぼっています。
この歌にも涙という言葉はありませんが、
袖は涙と結びつく言葉(=縁語)なので、
書かなくともよいのです。


袖はついに海になる

袖をしぼるほどの涙…と言われても
想像がつかないかもしれませんが、
和歌にはそれ以上の表現が出てきます。

きみ恋ふる涙のかゝる袖の浦は いはほなりともくちぞしぬべき
(拾遺和歌集 恋 よみ人知らず)

あなたを思う涙で濡れているわたしの袖は浦(=海辺)となり
波がかかって岩でさえも朽ちてしまうでしょう

袖の浦は出羽(=山形)にある歌枕の地。
涙で袖が浦になったと言うためにこれを持ち出し、
打ち寄せる波に浸蝕されて岩も削られていくというのです。
岩はやせ細っていく自分自身のことなのでしょうか。

さらに一歩進んだ(?)のが
室町時代の歌僧、正徹(しょうてつ)です。

逢ふことは波をたゝへて年ふれど あする世もなき袖の海かな
(草根集 恋 正徹)

会うことがないまま涙に満ちて年を経て
もはや浅くなることもないほど 袖は海になっていることだ

「あす」は「浅くなる」「涸れる」「褪せる」の意。
「波」は「無み」、つまり「無いので」との掛詞です。
また「波」「たゝふ」「あす」「海」はそれぞれ縁語でつながり、
ずいぶん複雑な構造です。

それにしても、袖はとうとう海になってしまいました。
どれほど涙を溜めたというのでしょう。
時代を経るにしたがって
スケールが大きくなっているのもおもしろいですね。