読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【258】和歌のジェネレーション対決


「老」対「若」の歌合

百人一首の寂蓮の歌は『新古今和歌集』から採られていますが、
この歌はもとは後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)が開催した
《老若五十首歌合》で詠まれたものです。

この歌合は十名の歌人が「老」と「若」に分かれて
勝敗を競うという、めずらしい試みでした。

開催されたのは鎌倉時代の建仁元年(1201年)のこと。
寂蓮は「老」の側に入っていました。
生年がはっきりしない寂蓮ですが、
当時六十歳代だったと思われます。

ほかに四十六歳の慈円(九十五)や
四十三歳の藤原家隆(九十八)、
三十九歳の藤原定家(九十七)が「老」。

対する「若」には二十一歳の後鳥羽院自身のほか、
三十一歳の藤原雅経(九十四)、
三十二歳の藤原良経(九十一)らが名を連ねていました。

家隆や定家がなぜ「老」なのかと思われるかもしれませんが、
このころは四十歳で長寿の祝いをするほど
平均寿命の短い時代でした。


対戦相手は若い女房

左右の陣の分け方はユニークでしたが、
歌題は春、夏、秋、冬、雜の各十首という伝統的なもの。
寂蓮の「村雨の」は秋の歌として詠まれた一首で、
見事に「勝」を得ています。

村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮
(八十七 寂蓮法師)

にわか雨が通り過ぎてそのしずくもまだ乾かない真木の葉に
霧の立ちのぼるのが見える秋の夕暮れよ

このときの対戦相手は越前という女房でした。

いづくにもさこそは月を眺むとも いとかく人の袖はしぼれじ
(老若五十首歌合 秋 越前)

どこでどれほど月を眺めたとしても
これほど(感動して)袖がしぼれるほど涙があふれましょうか

今宵この場所で眺める月の素晴らしさを詠んでいます。
しかし時雨のあとの静寂や澄んだ空気まで感じさせる
寂蓮の歌には遠く及びません。

越前は後鳥羽院の母に仕えていた女房で、
女房三十六歌仙に選ばれるほどの歌人でした。
名誉のために、定家と対戦して「勝」を得た歌を紹介しましょう。

よさの海うきねにかよふ鹿の音は 波よりもけに袖ぞ濡れぬる
(老若五十首歌合 秋 越前)

与謝の海に浮かぶ舟の寝床に聞こえてくる鹿の鳴き声は
波よりもよほど袖を濡らす(=涙をさそう)ものでした

与謝の海は浦島伝説の伝わる宮津湾のこと。
あの天橋立があるところです。

船中の宿泊を意味する「浮き寝」は「憂き音」との掛詞。
鹿の鳴き声は牡鹿が牝鹿を恋うものとされています。
また「かよふ」は男が女のもとに「通う」ことを連想させ、
じつは恋の歌なのではないかと思わせるようになっています。

「若」の側の歌人ですが、越前の当時の年齢はわかりません。
歌のよさを買われて後鳥羽院歌壇に招かれたといわれていますから、
若いうちから才能を発揮していたのでしょう。

この歌合は歌人の老若で左右の陣に分けられていましたが、
探してみればほかにもめずらしい和歌対決があったかもしれません。