読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【230】新たな美の発見


春の錦は都にあり

素性法師(そせいほうし 二十一)の代表作は何か。
そう問われてこの歌を示したら、
異論のある人はまずいないでしょう。

見わたせば柳桜をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける
(古今和歌集 春 素性法師)

桜の花盛り、都大路に植えられた柳の若緑が
桜の淡いピンクと混在している。
そのさまはまるで錦(にしき)のようではないかと。

秋の紅葉を錦にたとえるのが常識だった時代に、
素性は「春の錦」を提示したのです。

藤原定家(九十七)は二十歳のころ、
この歌を本歌取りしてこういう一首を詠んでいます。

都べはなべて錦となりにけり さくらを折らぬ人しなければ
(拾遺愚草 初学百首)

都のあたりは一面に錦になっているなぁ
桜を折らない人がいないからだろうけれど

桜を折る人が少なからずいたのでしょうか。
手に手に桜の枝を持った人々が目に浮かびます。

しかし、なぜわざわざそんな情景を詠んだのかというと、
『古今和歌集』では「見わたせば」の前に
同じ作者のこの歌が載っているからです。

見てのみや人にかたらむ桜花 手ごとに折りて家づとにせむ
(古今和歌集 春 素性法師)

桜花(さくらばな)を見ただけで
(そのすばらしさを)人に伝えられようか
それぞれが折って帰って土産(みやげ)にしようではないか

都が錦になったのは、
家への土産に桜を持った人々が大勢歩いているから…。
冗談みたいですが、青年歌人定家の才気が感じられます。


われ発見せり!

定家の最大の庇護者だった後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)にも
素性に影響された歌があります。

見わたせば山もとかすむ水無瀬川 夕べは秋となにおもひけむ
(新古今和歌集 春 太上天皇)

見渡すと山のふもとに春霞がかかり そこを水無瀬川が流れている
夕暮れは秋こそ(すばらしいものだ)などと
(これまで)なぜ思っていたのだろう

第一句「見わたせば」が素性とおなじ。
しかし後鳥羽院が倣ったのはそこではなくて、
新しい美を見いだす「発見」でした。

後鳥羽院は「秋は夕暮れ」という
『枕草子』にも書かれているような固定イメージに対し、
自分は春の夕暮れのすばらしさを発見したぞと
主張しています。

このような発見を試みた歌人は、じつは何人もいます。
しかし素性の歌に匹敵する作品は皆無といってよいでしょう。
さらりと仕上げたように思えますが、
いまだにだれも超えることができない名歌なのです。