読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【233】千本通と菅原道真


何が千本あったのか

京都市街を南北に走る千本通(せんぼんどおり)は、
かつて平安京の朱雀大路(すざくおおじ)があったところ。
千本通と呼ばれるようになった理由として、
このような伝説が伝えられています。

菅原道真(二十四)の太宰府左遷を命じた醍醐(だいご)天皇が
死後に日蔵(にちぞう)という僧の夢に現れ、
自分を地獄の責め苦から救い出すために
千本の卒塔婆(そとうば)を立ててほしいと訴えました。

天皇が地獄に堕ちたのは、
讒言(ざんげん)を信じて罪のない臣下を罪に問い、
死に追いやったからでした。

日蔵は夢から覚めると都の北にある船岡山に行き、
千本の卒塔婆を立てて供養したといいます。

船岡山に至る道を千本通と名づけたのも日蔵だといわれますが、
正確なところはわかっていません。
卒塔婆はそれ以前からあったという説もあるからです。

船岡山から千本通を少し南下すると、
道真の霊を祀る北野天満宮があります。
もとは雷神社でしたが、天徳三年(959年)に神殿が増築され、
道真の霊が迎えられたのです。

道真の死から五十六年、日蔵によって
千本卒塔婆が立てられたという天慶四年(941年)から
十八年が経過していました。


雷神となった道真

能の演目に道真が登場する『雷電』があります。
比叡山で法会を営んでいた尊意(そんい)僧正のもとに
道真の霊が現れるというもの。

復讐の鬼と化していた道真は雷神となって、
自分をおとしいれた仇敵に報復するつもりでした。
僧正にその邪魔をしないでくれと頼みに来たのですが、
もちろん僧正は拒否。

怒って姿を消した道真は
内裏に雷を落とすなど執拗な報復を始めます。
公卿や殿上人は恐れ、逃げまどうばかりでした。

そこに呼ばれたのが尊意僧正。
道真を屈服させようと祈祷をつづけ、
長い戦いののちついに道真は力尽きます。

復讐は終わりました。
帝は道真に天満大自在天神の位を与え、
道真は黒雲に乗って空に消えて行きました。

『雷電』は恐ろしい鬼神面をつけて
髪を振り乱した道真に圧倒される曲です。
内容は道真の怨霊伝説に天満宮縁起を組み合わせたように見え、
道真が天神として祀られた理由がわかるようになっています。

以上の話は史実とも天満宮の公式由緒書きとも微妙に異なります。
しかし怨霊の存在が信じられ、
道真への同情が共有されていた時代があったことを考えると、
このような創作も何の抵抗もなく受け入れられたのでしょう。

天満宮のある北野は内裏の北にあったことによる命名。
ここに雷神が祀られていたのは、
内裏がたびたび落雷の被害に遭っていたからといわれます。

そこに落雷で祟りをなす道真の霊が祀られたのは
自然な成り行きだったのかもしれません。

現在の天神さまは学問の神として親しまれており、
千本通などの門前一帯はいつもにぎわっています。
かつての怨霊は、恵みをもたらすやさしい神として
人々を見守っているようです。