読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【196】“センス”のある和歌


和歌の遊びに

和歌の遊び歌合(うたあわせ)には
さまざまなバリエーションがありましたが、
そのうちのひとつが扇(おうぎ)合わせ。
左右の組にわかれた歌人たちが歌を書いた扇を提出し、
判者(はんじゃ)がその優劣を判定するものです。

『撰集抄(せんじゅうしょう)』という書物に
七夕に行われた、ある扇合わせのエピソードが紹介されています。
詳細な顔ぶれは記されていないのですが、
伊勢(十九)の娘、中務(なかつかさ)の歌が大好評で、
人々は扇を奪いあうようにしてその歌を読んだそうです。

天の川かはべすゞしきたなばたに 扇の風を猶やかさまし

七夕の天の川の川辺は涼しいでしょうが
それでも猶(なお)扇の風を貸してあげましょうか

旧暦七月は秋、川辺は涼しいにちがいないけれど、
この扇でさらに涼しくしてあげようかというのです。

皆がすっかり興奮しているところに、
清原元輔(もとすけ 四十二)の扇が遅れて提出されました。
元輔の歌は

あまの川扇の風に霧はれて 空すみわたる鵲の橋

天の川は扇の風で霧が晴れ
澄みわたる空に鵲(かささぎ)の橋が見えているよ

織姫と彦星のために鵲が翼をならべ、
天の川に橋を架けるという伝説によるもの。

こちらも大評判となったため
中務と元輔ふたりの扇だけが勝ちということになり、
ほかの扇はだれもかえりみなかったそうです。

ちなみに百人一首にある家持(やかもち 六)の歌は
皇居を天上になぞらえて詠んだものともいわれ、
その説によれば「かさゝぎのわたせる橋」は
宮中の階段を指すことになります。


旅立つ人へ

扇は贈答品としても用いられていました。
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)は送別会で
旅立つ知人に歌を添えて扇を贈っています。

わかれぢをへだつる雲のためにこそ 扇のかぜをやらまほしけれ
(拾遺和歌集 別離 大中臣能宣)

あなたが旅立って別れていく道を隔てる(=見えなくする)雲を
吹きはらうために 扇の風を送りたいと思います

赤染衛門(あかぞめえもん 五十九)にも
地方に赴任する親族に扇を贈ったという歌があり、
扇は旅立つ人への贈りものとして一般的だったのかもしれません。

かさばらず実用的な扇は気の利いた贈りもの。
当時の扇は生活に欠かせないものであり、
貴族たちは涼をとるほかに、顔や口元をかくすためにも
扇を用いていました。

また人に物をわたすとき、
扇にのせて差し出すこともありました。

手もたゆくならす扇のをきどころ 忘るばかりに秋風ぞふく
(新古今和歌集 秋 相模)

手が疲れるほどに使いなれた扇を置いた所
それがどこだったか忘れてしまうほどに秋風が吹いていることね

実用とはいえ、季節に合わせて扇を使いわけるのが
貴族のたしなみのひとつでした。
相模(さがみ 六十五)が置いた場所を忘れたのは夏用の扇です。
夏の風物がおしゃれに描かれていたことでしょう。