読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【198】歌人忠岑の名誉


忠岑の歌は上の上

壬生忠岑(みぶのただみね 三十)は
紀貫之(きのつらゆき 三十五)らとともに
日本初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の
編纂メンバーに選ばれています。

醍醐(だいご)天皇の信任篤かったわけで、
選ばれた本人たちはその名誉にたいへん喜んだと伝えられています。

また忠岑は三番目の勅撰集『拾遺和歌集』では
巻頭歌に選ばれるという名誉に浴しています。

春たつといふばかりにや みよし野の山もかすみて今朝は見ゆらむ
(拾遺和歌集 春 壬生忠岑)

立春をむかえたというだけのことなのだが(おそらくそのせいで)
吉野山もかすんでいるように 今朝は見えるのだろうな

暦の上では春。しかしそう思うだけで、
春を待つ心が吉野山に霞というベールをかけて見てしまうというのです。

藤原公任(ふじわらのきんとう 五十五)は
和歌を九段階にランキングした『和歌九品(くほん)』の中で
この歌を上品上(じょうぼんじょう)、つまり最高位に選びました。

詞(ことば)たへにして餘(あまり)の心さへあるなり

言葉の使い方が絶妙で余情までそなえているというのです。

その後も俊成(しゅんぜい 八十三)や定家(ていか 九十七)など
名だたる歌人が秀歌として採り上げたため、
この歌の名声はさらに高まりました。


忠岑のふつうの歌

公任は上記『和歌九品』で
中品中(ちゅうぼんちゅう)にも忠岑を選んでいます。
九段階の真ん中で、その評は
よくも悪くもないが基本どおりにできていると。

春きぬと人はいへども うぐひすの鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ
(古今和歌集 春 壬生忠岑)

春が来たとみんなは言うけど うぐいすが鳴かないうちは
そりゃないんじゃないのと思うよ

ちょっとくだけて訳してみましたが、
この軽いノリも忠岑の特徴のひとつです。
公任が重視する「余情」は感じられませんが、
うぐいすの異名が春告鳥(はるつげどり)だというのは踏まえており、
公任はそこを「基本どおり」と評したのかもしれません。

最後に秋の月を詠んだ一首を
鑑賞してみましょう。

久方の月の桂も 秋くれば紅葉すればや照りまさるらむ
(忠岑集)

月に生えているという桂の木も
秋が来ると紅葉するのかもしれないな
月の光がいつにも増して明るいから

秋になると月の光が冴えてきます。それを
月に桂の木が生えているという中国の伝説を引いて、
その桂が紅葉しているからじゃないかというのです。

「久方の月の桂」は藤原雅経(まさつね 九十四)や定家など
三百年ほどのちの歌人たちも紅葉に結びつけて詠んでおり、
忠岑の影響力が衰えていなかったことをうかがわせます。