『小倉百人一首』
あらかるた
【170】さるものは来る
さる=来る
待賢門院堀河(たいけんもんいんほりかわ 八十)に
不思議な衣(ころも)を詠んだ旅の歌があります。
旅にして秋さり衣さむけきに いたくな吹きそむこの浦風
(続後撰和歌集 羇旅 待賢門院堀河)
旅をしていると秋さり衣では寒いのだから
激しく吹かないでおくれ 武庫の浦風よ
武庫の浦は兵庫県の武庫川河口あたりの海のこと。
しかし、秋さり衣とはどういう着物なのでしょう。
「秋」は季節の秋で、「さり」は「来た」ということ。
秋さり衣は「秋が来たら着る着物」という意味なのです。
「さり」は「去り」を連想してしまいがちですが、
古くは「そのときが来る」という意味の「さる」がありました。
大伴家持(おおとものやかもち 六)と
紀友則(きのとものり 三十三)の例を見てみましょう。
秋さらば見つゝ偲べと妹が植ゑし やどのなでしこ咲きにけるかも
(万葉集巻第三 大伴家持)
秋になったら見て思い出してねといって妻が植えた
我が家のなでしこが咲いたことだよ
冬さればさほの川原の河霧に 友まどはせる千鳥なくなり
(拾遺和歌集 冬 紀友則)
冬が来ると佐保川の川原に立つ川霧の中で
仲間をまどわせるかのように千鳥が鳴くのだよ
どちらの歌も「秋くれば」「冬くれば」でもよいわけで、
実際にそう詠っている歌もあります。
まぎらわしいですね。
俊成の自信作
「来る」という意味の「さる」は
百人一首では源経信(みなもとのつねのぶ)の歌に出てきます。
夕されば門田の稲葉おとづれて あしのまろやに秋風ぞ吹く
(七十一 大納言経信)
夕方になると門前の田の稲葉にさやさやと音をたて
葦(あし)を葺(ふ)いた粗末な小屋に秋風が吹くことだ
秋の夕暮れをさわやかに詠った一首ですね。
ほんの五十年ほど前までは夕方を「夕さり」、
「夕さり方」と言う人がいましたが、それらは
平安時代からつづく言葉だったことになります。
ところで、藤原俊成(しゅんぜい 八十三)が
自身の最高傑作としていた歌も「夕されば」でした。
夕されば野べの秋風身にしみて 鶉鳴くなり深草のさと
(千載和歌集 秋 皇太后宮大夫俊成)
夕方になると野原を吹く秋風が身にしみて
鶉(うずら)の鳴く声がする深草の里であることよ
ほかの人からもっとよい歌があるではないかと言われても、
俊成は譲らなかったと伝えられます。
京都の伏見区にある深草はかつて月とうずらの名所でした。
『伊勢物語』に、男に飽きられそうになった女性が
深草のうずらになって鳴いていたいと歌を詠む場面があり、
俊成はそれを念頭に置いていたのだとか。
そういう背景は説明されないとわかりませんが、
俊成には思い入れのある歌だったのでしょう。