読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【190】藤原定家は花盗人?


都ではめずらしかった八重桜

伊勢大輔(いせのたいふ)の歌は
一条天皇の宮廷に奈良の八重桜が献上されたときに詠まれました。

いにしへの奈良の都の八重ざくら けふ九重ににほひぬるかな
(六十一 伊勢大輔)

昔の奈良の都に咲いていた八重桜が
今日は九重(ここのえ)で美しく輝いていることです

九重は宮中を指し、かつて中国の王城に
幾重もの城門が作られていたことに由来します。
また桜の枝がわざわざ奈良から届けられたのは、
当時の平安京に八重桜がなかったためと考えられています。

しかし時代が百年ほど下ると
式子内親王(八十九)が自邸の八重桜を詠んだりしていますから、
都でも見られるようになっていたのでしょう。

八重匂ふ軒端のさくらうつろひぬ 風よりさきに訪ふ人もがな
(新古今和歌集 春 式子内親王)

八重に咲きほこるわが家の桜が色あせてしまいました
風より先に(=散ってしまわないうちに)
訪れる人がいればよいのですが


見られていた花盗人

内親王と親しかった藤原定家(九十七)は
八重桜がことのほかお気に入りだったらしく、
そろそろ五十歳にもなろうかといういい歳をして
けしからぬことをしでかしました。

ある正月のこと、
宮中の渡殿(わたどの=渡り廊下)近くにあった八重桜の木に
連れてきた侍をのぼらせ、枝を一本切らせたのです。
定家は枝を袖に包んで何食わぬ顔で立ち去りましたが、
じつは一部始終を見られていました。

宮中のものを無断で持ち去るのは、たとえ枝一本であっても重い罪。
ところが目撃者の官人は、さすが定家は風流な人物だと感心し、
仲間とうわさ話をするだけでした。

報告するつもりはなかったのですが、
うわさは恐ろしいもので、すぐ天皇の耳に届きます。

おもしろいのは天皇の反応です。
花が気に入って、接ぎ木にしようと盗んでいったのだろうと、
怒ることもなく容認。ただ、
わたしは知っているぞと言ってやりたいと思い、
伯耆(ほうき)という女房に歌を詠ませました。

なき名ぞとのちにとがむな 八重桜うつさむ宿はかくれしもなし

無実だとあとになって咎めなさいますな
八重桜を移した家は(いずれ花が咲いたら)
隠しようもない(=わかってしまう)のですから

歌を届けられた定家は驚いたにちがいないのですが、
使いの者にこういう返事を持たせたといいます。

くるとあくと君に仕ふる九重の やへさく花の陰をしぞ思ふ

明けても暮れてもわが君にお仕えしております宮中の八重桜の
その幾重にもかさなる花陰のことを思っております
(わが君のおかげをこうむるわが身だと思っております)

詳細な日記をのこした定家ですがこの一件については記載がなく、
唯一『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』が伝えるのみ。
もしほんとうに宮中の花を失敬したのだとしても、
さすがに日記には書き残さなかったでしょうね。