読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【192】明暗のわかれたいとこ同士


友則・貫之歌くらべ

紀友則(きのとものり)と紀貫之(きのつらゆき 三十五)は
ともに三十六歌仙に選ばれた従兄弟(いとこ)同士。


ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
(三十三 紀友則)

日の光のどかな春の日に
桜の花はなぜ落ち着きなく散っていくのだろう
百人一首でも屈指の人気作ですが、

貫之が同じように散る桜を詠んだ歌があります。

ことならば咲かずやはあらぬ桜花 見る我さへにしづ心なし
(古今和歌集 春 紀貫之)

同じことなら咲かずにいないか桜の花よ
見ているわたしまでがそわそわしてしまうから

どちらの歌が先だったのでしょうか。
よく似ていますが、優れているのは友則のほうでしょう。

同じ『古今和歌集』から、こんどは
深夜のほととぎすを詠んだ夏の歌をくらべてみます。

五月雨にもの思ひをれば 郭公夜ふかく鳴きていづちゆくらむ
(古今和歌集 夏 紀友則)

五月雨(さみだれ=梅雨)に物思いにふけっていると
夜も更けてからほととぎすが鳴いた
あのほととぎすはどこへ行こうというのだろう

夏の夜の臥すかとすれば 郭公鳴くひとこゑにあくるしのゝめ
(古今和歌集 夏 紀貫之)

横になったかと思うと ほととぎすの鳴く一声で
早くも明け方になってしまう(短い)夏の夜であることよ

この場合も友則のほうが詩情ゆたかな秀歌と思われます。
しかし実際のところは、没後まもなく評価が落ちてしまったのは友則でした。


素直すぎた(?)友則

友則は貫之らとともに『古今和歌集』の撰者を命じられ、
早世した(35歳くらいか?)わりには64首が勅撰集に入集するなど、
当時は実力を認められた歌人でした。

『古今和歌集』の歌風は古今調といって理知的、平明で優雅なもの。

それが『千載和歌集』や『新古今和歌集』の時代になると
技巧的で華麗な和歌が主流となり、
友則の素直な作風は忘れられてしまったのです。

定家が百人一首に採らなければ
友則の知名度は低いままだった可能性が…。



君ならでたれにか見せん梅の花 色をも香をもしる人ぞしる
(古今和歌集 春 紀友則)

あなた以外のだれに見せたらよいのでしょう この梅の花を
色や香りの素晴らしさはわかる人にしかわかりませんから

わかる人にしかわからない存在になりかかっていた友則、
こんなに有名になったのは、百人一首のおかげかもしれません。