読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【157】不運なライバル


寂蓮と双璧と呼ばれながら

時は『千載和歌集』完成のころ、
藤原隆信(たかのぶ)、藤原定長(さだなが)という
和歌のライバルがいました。

定長はのちに出家して寂蓮(じゃくれん 八十七)と名乗り、
その名歌「村雨の」は百人一首にも選ばれています。

定長は父の兄だった藤原俊成(八十三)の養子となりましたが、
隆信は離縁した母が俊成と再婚。
どちらも定家(九十七)の異母兄にあたるという、
ずいぶん近い関係だったことになります。

ふたりは若くして俊恵(しゅんえ 八十五)の和歌サークルに加わり、
若手歌人の双璧とたたえられるようになりました。
その後俊成が催した歌会でもふたりの作品は甲乙つけがたく、
俊成は《双璧証明書》を出してもよいとつぶやいたとか。

そんなふたりの明暗が分かれたのは
右大臣九条兼実(かねざね)が歌詠みたちに百首歌を提出させたとき。
隆信は公務が忙しくて間に合わせるのが精一杯だったのに、
すでに出家していた定長、つまり寂蓮は時間がたっぷりあり、
推敲を重ねた完成度の高い百首を提出しました。

これで隆信がかなうはずもなく、
寂蓮こそが並ぶ者のいない歌詠みだと判定されてしまいました。
そのうちにはふたりを双璧とたたえた人たちは愚か者だった
などと言い出す人も現れるしまつ。

隆信が傷ついたのは言うまでもありません。
早く死んでしまっていたら名歌人という名を残しただろうに
長生きをして恥をさらすことになってしまったと嘆いたそうです。
隆信はまだ三十代半ばだったと思われるのですが…。


鹿に託す恋の思い

隆信の若いころの歌を見てみましょう。

君やたれ ありしつらさはたれなれば 恨みけるさへ今はくやしき
(千載和歌集 恋 藤原隆信朝臣)

あなたは誰?あの時のつれなさは誰だったというのですか
(今では別人のようにやさしいことを思うと)
あれほどあなたを恨んだことが悔しくてなりません

ようやく思いを遂げることのできた男が
これまであんなに冷たかったあなたは別人なのですかと
相手を責めている歌…なのですが、愚痴とはうらはらに
逢えた喜びがひしひしと伝わってくるのがおもしろいところ。

うき寝する猪名の湊に聞こゆなり 鹿の音(ね)おろす峯の松風
(千載和歌集 秋 藤原隆信朝臣)

猪名(いな)の港に停泊した船で寝ていると 聞こえてくるよ
鹿のなく声を運んで(六甲の)峰から吹きおろす松風の音が

松に吹く風はひゅうひゅうと音を立てますが、
山に棲む鹿の鳴き声を港まで運んでくるとは限りません。
峰から吹きおろす風の音に、夜通し妻を求めて鳴くという
雄鹿の恋を思い浮かべたのです。

「うきね」は「浮き寝」と「憂き」を掛けているとも考えられ、
作者は恋の思いに寝られぬ夜を過ごしていたのではと思わせます。
隆信が凡庸な歌人でなかったことを示す優れた一首ですね。