読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【126】婚活するなら筑波山


筑波山は恋の山

筑波山は関東を代表する名山の一つ。
標高は900メートルにも満たないのですが山容が美しく、
歌枕にもなっていて、多くの和歌に詠まれています。 

筑波嶺の峯より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
(十三 陽成院)

筑波嶺(つくばね)の峰から流れ落ちるしずくが
みなの川の淵となるように わたしの恋もつもって淵となっています 

百人一首にある陽成院の恋の歌です。
陽成院は意識していたかどうかわかりませんが、
実は筑波山は、古(いにしえ)から恋の山でした。

筑波山の二つの嶺はそれぞれ男岳(男体山)、女岳(女体山)と呼ばれ、
水無乃川(みなのがわ)は男女川とも書きます。
そしてなんと筑波山は、
大勢の男女が集まって大規模な合コンが行われる山だったのです。

奈良時代の高橋虫麻呂(むしまろ)はこう詠んでいます。 

鷲のすむ 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に
率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の
行き集ひ かがふ?歌(ががひ)に 他妻(ひとづま)に 我も交はらむ
我が妻に 人も言問(ことと)へ この山を うしはく神の
昔より 禁(いさ)めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ ことも咎むな
(万葉集 巻第九 1759)

鷲の棲む筑波山の 裳羽服津の渡し場の上に
連れ立って女と男が集まり 歌を掛け合う歌垣(うたがき)で
人妻にわたしも交わろう わたしの妻に人も言い寄れ
この山を治める神が 昔から禁じていない行事なのだ
今日ばかりは目串(=非難の眼差し)で見るな 咎める言葉も言うな 

虫麻呂は常陸の国に官吏として赴任していたので、
実際に筑波山の歌垣を目にしていたのかもしれません。
この歌のとおりだったとすれば、独身でなくても、
夫婦でも歌垣(東国では?歌と呼ぶ)に参加していたことになります。


歌で婚活する若者たち

中国南部の少数民族居住地など、今でも歌垣の遺るところでは、
未婚の男女のグループが決められた場所に集まり、
歌の掛け合いを行って結婚相手を決めているそうです。
今ふうに言えば婚活の場になっているわけです。

どちらかが目指す相手に歌いかけ、歌いかけられた相手も歌で返します。
内容は告白とは限らず、からかいや挑発だったりしますが、
即興で歌の応酬をつづけながら相手の素性や本気度をさぐり、
配偶者にふさわしいかどうかを判断するのです。

歌の応酬は何時間もつづくことがあるそうですが、
日本の歌垣も同じようなものだったのではないでしょうか。

「筑波峰の集いに娉財(つまどいのたから)を得ざれば児女とせず」

関東地方の諺として伝えられるこの言葉は、
筑波山の歌垣で求婚して相手を見つけてこなければ
息子・娘として認めないと(親の立場で)言っており、
参加が奨励されていたことがわかります。

筑波山のほか肥前の杵島(つきしま)や大和の海石榴市(つばいち)、
摂津の歌垣山などが歌垣の場として知られており、
記録にないだけでかつては全国各地に歌垣エリアがあったのでしょう。

のちに貴族たちが恋の場面で歌を詠み交わし
歌合(うたあわせ)や歌会が盛んに行われたのも、
歌垣という伝統があったからかもしれませんね。