読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【132】恋の炎


火のように燃える恋心

伊勢神宮の祭主、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の歌は
恋する熱い思いを篝火(かがりび)にたとえたものでした。

御垣守衛士のたく火の 夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ
(四十九 大中臣能宣)

宮廷の門を守る兵士の焚く火が夜は燃え昼は消えているように
わたしの思いも夜は燃えるほど激しく 昼は消え入るほどに沈んでいます。

衛士(えじ)は宮廷の衛兵。
そのうち諸門を警護するのが御垣守(みかきもり)で、
夜通し火を焚きつづけます。

その御垣守の炎のように一晩中あなたに恋焦がれていますというのです。
思いの激しさが伝わってきますが、
紀友則(きのとものり 三十三)はさらにスケール壮大です。

片恋をするがのふじの山よりも わがむねのひのまつもゝゆるか
(続後拾遺和歌集 物名 紀友則)

片思いをするわたしの胸の恋の火は
駿河の国の富士の山よりも激しく燃えるほどです。

「子日松(ねのひのまつ)」を詠み込んだ物名(もののな)の歌。
「もゆる」は火が燃えるのと新春の小松が萌えるのを掛けています。

富士山が燃えているかのようですが、
富士山は平安時代に二度の大噴火があり、
当時は常に煙の立ちのぼる火の山でした。


人知れず燃える恋心

富士山とくらべるのは例外としても、
恋心を篝火や松明のように盛んに燃える火にたとえた歌は、
じつはそれほど多くありません。

能宣にもこういう歌があります。

蚊遣火はものおもふ人のこゝろかも 夏の夜すがら下に燃ゆらむ
(拾遺和歌集 恋 大中臣能宣)

蚊遣火(かやりび)は物思いする人の心ではないだろうか
夏の夜のあいだ中 密やかに燃えつづけるのだろうから

蚊遣火は蚊を追い払うために燃やすもの。
わざとくすぶるように(煙が出るように)燃やすので、
うつうつとした悩める恋の表現に好まれました。

さらによく使われたのが海人(あま)の焚く火。
藤原雅経(まさつね 九十四)にこんな歌があります。

うらみじな難波の御津(みつ)に立つ煙 こゝろから焼くあまの藻塩火
(新勅撰和歌集 恋 参議雅経)

浦を見るまい(恨みますまい) 難波の湊(みなと)に立つ煙は
海人が藻塩(もしお)を焼く煙なのだけれど
わたしの心から立ちのぼるように見えてしまうから

「浦見」と「恨み」は掛詞。
「藻塩火(もしおび)」は海藻から塩を採るために燃やす火をいい、
立ちのぼる煙は哀愁を帯びた浜辺の風物とされていました。

雅経の歌は、そうでなくてもうら悲しい風景に
悩める恋の思いを重ね合わせていることになります。
異性へのアピールということを考えれば、富士山より藻塩火のほうが
真実味があって効果的だったのかもしれませんね。