読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【138】清少納言の恋人


清少納言は秘密の妻?

『拾遺和歌集』に藤原実方(さねかた 五十一)の
このような歌が載っています。

〔詞書〕
元輔(もとすけ)がむこになりてあしたに

時のまも心はそらになるものを いかですぐしゝ昔なるらむ
(拾遺和歌集 恋 藤原実方朝臣)

わずかな間でさえ 逢えないと心は落ち着かなくなるもの
どうやってこれまで耐えてきたのかと思います

元輔の婿になった翌朝と詞書(ことばがき)にあります。
これが清原元輔(四十二)であれば、その娘と結婚していたということは、
清少納言(六十二)の夫だったことになりますが…。

実方の家集を見ると、実方と清少納言はある時期
夫婦と呼んでもよい関係だったようです。

〔詞書〕
清少納言とて元輔がむすめ宮にさぶらふを
おほかたに懷かしくて語らひて
人には知らせず絶えぬ仲にてあるを
いかなる折にか久しく訪れぬを
おほぞうにて物など争ふを
女さしよりて忘れたまへなよといへば
いらへはせでたち帰り

忘れずよまた変らずよ 瓦屋の下たく煙したむせびつゝ
(実方朝臣集)

清少納言といって元輔の娘が宮中に仕えているのを
何とはなしに心惹かれて親しくつきあい
人には知らせず絶えず通っていたが
どんな折にだったか 長いあいだ訪問しないことがあった

さすがにそれなりの口喧嘩などしてしまって
女のほうから寄り添ってきて忘れないでねと言ったのに
返事はしないで帰ってしまい

あなたのことは忘れないしこの気持も変わりません
瓦を焼く屋根の下で煙にむせぶように
ひそかに恋の涙にむせびながら


清少納言とのなれそめ

二人はどのようにして知り合ったのか、
別の歌集にはこんなエピソードが載っています。

時は正暦四年(993年)十一月、
皇后宮(きさいのみや→一条天皇の皇后藤原定子)が
五節(ごせち)を催しました。
舞姫の舞が披露される日、介添えの女房や少女たちは
青く染めた衣を着せられていたのですが、
兵衛(ひょうえ)という女房の赤紐がほどけてしまいました。

結ばなくちゃと言うのを聞きつけた実方、
直してやろうと近づくと、こういう和歌を詠みました。

あしびきの山井の水はこほれるを いかなるひものとくるなるらむ
(後拾遺和歌集 雑 藤原実方朝臣)

山の泉の水は凍っている(=あなたは打ち解けない)というのに
どういう紐が解けたというのですか

ちょっと危ない歌ですが、
これに返歌したのが清少納言でした。

うはごほりあはに結べる紐なれば かざす日影にゆるぶばかりぞ
(千載和歌集 雑 皇后宮清少納言)

水面に張った氷のようにゆるく結んだ紐ですもの
日の光にはゆるむばかりなのです

五節で冠につける日蔭葛(ひかげのかずら)を巧みに掛詞にした、
いかにも清少納言らしい機転の効いた一首。
実方が興味を抱いたとしても不思議はありません。
二人の交際はこれをきっかけに始まったのではないでしょうか。