読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【139】陸奥に消えた貴公子


親友の死を悼む

左大臣の孫という超セレブ、なおかつ超イケメンで
モテモテだったという藤原実方(さねかた 五十一)。
清少納言との秘めた恋(前話参照)は華やかな恋愛遍歴の
ほんの一部に過ぎませんでした。

その一方で実方は人付き合いもよく、多くの友人に恵まれていました。
なかでも藤原道信(みちのぶ 五十二)とは、
同じ近衛中将だったこともあってかよく行動を共にしており、
お祭りにも一緒に参加していました。

〔詞書〕
臨時の祭の舞人にて諸共に侍りけるを
共に四位してのち 祭の日遣はしける

衣手の山井の水に影見えし なほそのかみの春ぞこひしき
(新古今和歌集 雑 藤原実方朝臣)

臨時祭の舞人(まいびと)をともに努めたことがあったので
一緒に従四位下に昇進した後 再び祭りの日に遣わした

あなたとともに舞った衣の袖が山の泉の水に映っていましたね
あの春の日がなつかしくてなりません

水に関連する言葉を使い、春とも書いてあるので、
石清水八幡宮の臨時の祭を言っているのでしょう。

親友の道信はしかし、
わずか二十三歳で他界してしまいます。
秋になったら紅葉を見に行こうと約束していたのですが。

〔詞書〕
道信の朝臣 もろともにもみぢ見むなどちぎりて侍りけるに
かの人身まかりての秋 よみ侍りける

見むといひし人ははかなく消えにしを 独り露けき秋の花かな
(後拾遺和歌集 哀傷 藤原実方朝臣)

(一緒に紅葉を)見ようと言った人ははかなく世を去ってしまい
ひとり残されたわたしは露に濡れる秋の花のように泣いているよ


謎の陸奥赴任

西行(八十六)は陸奥(みちのく)を旅していたとき、
野中に由緒ありげな塚を見かけました。
人に問うてみたところ、実方中将の墓だという話。
霜枯れの薄(すすき)が広がる中、
悲しみを覚えた西行はこのように詠みました。

朽ちもせぬその名ばかりをとゞめ置きて 枯野の薄かたみにぞ見る
(山家集 羇旅)

あなたの名声は朽ちることなく遺っていますが
今となっては枯野の薄を形見として見るばかりです

実方は三十代半ばで陸奥守(むつのかみ)に任ぜられました。
そして恋に明け暮れる都のくらしから離れて三年後、
落馬の傷がもとで亡くなってしまったのです。

西行がその墓を訪れたのはそれから200年ほど経ってから。
かつての超イケメンセレブは伝説の人となっていました。
陸奥に行かされたのは暴力事件を起こしたからとか、
一条天皇に歌枕を見てこいと言われたからとか、
地元の神をないがしろにしたために落馬したとか…。

正確なところはわかっていないのですが、
西行の歌はそれらの伝説を踏まえています。