読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【114】富士は日本一の山


万葉の昔から

このところ富士山がたいへんな話題ですが、
百人一首で富士山といえば山部赤人(やまべのあかひと)。
しかしこの「田子の浦」の歌、
長歌とセットになっていたことをご存知でしょうか。

『万葉集』にはこのように書かれています。

天地(あめつち)の分れし時ゆ 神さびて高く貴き
駿河なる富士の高嶺を 天の原ふりさけ見れば
渡る日の影も隠らひ 照る月の光も見えず
白雲もい行きはばかり 時じくそ雪は降りける
語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
反歌
田子の浦ゆうち出でて見れば 真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
(万葉集巻第三 山部赤人)

天と地が分かれたときから 神々しく高く尊い
駿河にある富士のいただきを 天空はるかに仰いで見ると
(山が高いので)空を渡る日の光は隠れ 照る月の光も見えず
白雲も流れ行かず 時もかまわず雪が降っているではないか
語り継いで、言い継いでいこう、富士の高峰のことを
反歌
田子の浦を通ってはるかに見れば
富士の高い峰に真っ白に雪が降り積もっているよ

赤人は天地創造にまでさかのぼって富士の荘厳さを讃えています。
独立峰としてこれほど美しい山は世界的にもめずらしいわけですが、
そんなことを知らない赤人にとっても
富士は賛美しないではいられない山だったのです。


富士と三保の松原

世界遺産登録の条件として除外が勧告された三保の松原は
富士と無関係といえるのか、
後鳥羽院(九十九)の歌を見てみましょう。

清見潟ふじの煙や消えぬらむ 月影みがく三保の浦波
(玉葉和歌集 秋 後鳥羽院御製)

清見潟(きよみがた)から望む富士の煙が消えたのだろう
月の光が三保の浦波に磨かれたように澄んでいるよ

海辺の月明かりを題に詠んだ一首。
夜ですから、満月であったとしても
富士の山容がくっきり見えることはありません。
それでも三保の風景は富士なくしては成り立たないのです。

後鳥羽院の歌は清見潟が月の名所だったことに由来するもの。
月にからめた叙景歌はほかにも多数ありますが、
富士と三保一帯は恋の歌にも詠まれています。

胸はふじ袖は清見が関なれや 煙も波もたゝぬ日ぞなき
(詞花和歌集 恋 平祐挙)

わたしの胸は富士の山 袖は清見の関なのでしょうか
思い焦がれて煙が立たない日はなく
波に濡れない(=涙を流さない)日もありません

三保の松原の件はともかく、
富士は万葉の昔からわたしたち日本人の心の山でした。
これからも変わることなく愛されつづけることでしょう。