読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【83】ひらがなのテキスト


最古のいろは

今年(平成24年)1月、三重県の斎宮歴史博物館が
斎宮跡(さいくうあと)からいろは歌の書かれた
土器片数個が出土したと発表しました。
制作年代は平安時代後期と推定され、
ひらがなのいろは歌としては最古のものだそうです。

斎宮(さいくう)は伊勢神宮に派遣された斎王(さいおう)が
天皇の代理として神に奉仕するために住まうところ。
斎王になるのは天皇の妹や皇女などのうち、
未婚の者に限られていました。

いろは歌の書かれているのが土器だというので、
儀式用に作られた素焼きの皿が、廃棄されてから
廃物利用で(紙の代用で)かなの練習に使われたのではないか、
現地雇用の女官が都から来た女官に書を教わっていたのではないか、
などさまざまな推測を生むことになっています。

「ひらがなのいろは歌」というからには
「ひらがなではない」いろは歌があったわけです。
それは音仮名(おんがな=万葉仮名の一種)で書かれたもので、
「伊呂波仁保部止知利奴留遠…」というふうに表記します。
ひらがなが生まれてからは使われなくなりました。

ひらがなのいろは歌は平安時代中頃から江戸時代に至るまで、
数百年にわたってテキストとして用いられてきました。

ものごとの初歩、基礎を「いろは」というのは、
手習い(=読み書きの学習)の最初にいろはを学んだから。
いろは歌はかな47文字を一回ずつ使って作られているので、
かな文字を覚えるには好都合でした。

意味については複数の説があるようですが、
一般的にいわれているのは『涅槃経(ねはんぎょう)』にある
偈(げ=詩)を和訳したという説。
漢字を交えて書くとこうなります。

色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず


いろは以前

いろは歌より古いとされる手習い詞(ことば)もあります。
平安時代初期に用いられたのは「あめつち」。

あめつちほしそらやまかはみねたに
くもきりむろこけひといぬうへすゑ
ゆわさるおふせよえのえをなれゐて

漢字にしてみると

天土星空山川峰谷
雲霧室苔人犬上末
硫黄(ゆわ)猿生ふせよ榎の枝を慣れ居て

となって、ほとんど単語の羅列です。
「いろは」より一つ多い48文字ありますが、
ア行のエ〔e〕とヤ行のエ〔je〕が区別されていたためといわれ、
のちに「いろは」が普及したころにはヤ行のエが
使われなくなっていたことを示しています。

現在は「いろは」にある「ゐ」と「ゑ」が使われていませんから、
日本語の音節(おんせつ)は時代とともに少なくなっているわけです。