読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【58】山里という理想郷


人も通わぬ山の里

源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)は、
光孝天皇(十五)の孫、宇多天皇の甥にあたりますが、
官位が思うように進まず、正四位下で生涯を終えました。

恵まれぬ境遇を嘆いていたと伝えられるので、百人一首のこの歌も
みずからにかさね合わせた作品ではないかと思えてしまいます。

山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば
(二十八 源宗于朝臣)

山里は冬こそ寂しさがまさるものだ
人が訪れなくなり 草も枯れてしまうと思うと

宗于の歌は『古今集』の冬の部から採られています。
同じ『古今集』に壬生忠岑(みぶのただみね 三十)の
山里の歌も収められていますが、こちらは秋の歌になっています。

山里は秋こそことにわびしけれ 鹿のなく音にめをさましつゝ
(古今集 秋 壬生忠岑)

山里は秋こそとくにわびしいものだ
鹿の悲しげに鳴く声に目を醒ましながらそう思うよ

冬がもっともさびしいという宗于、
秋がいちばんわびしいという忠岑。
見解が対立しているようですが、二人にとって
山里が寂寥感をかき立てることに変わりはないようです。


憂き世を離れて

ほかの百人一首歌人の山里を見てみると、
興味深いことがわかってきます。
山里は、人も通わぬ寂しい場所とは限らないのです。

山里にうき世いとはむ友もがな くやしく過ぎし昔かたらむ
(新古今集 雑 西行法師)

山里に(わたし同様に)憂き世を逃れた人がいてくれればよいが
無念なまま過ぎてしまった昔をともに語れるように

西行(八十六)の山里には穏やかな時間が流れていそうです。
藤原公任(きんとう 五十五)の場合は
さらに踏み込んで山里を理想の世界として画いています。

うき世をば峰の霞やへだつらむ なほ山ざとは住みよかりけり
(千載集 雑 公任)

憂き世を峰にかかる霞が隔てて見えなくしているのだろう
やはり山里というのは住みよいものだったよ

春霞によって俗世から隔てられた別世界。
隠れ里伝説を思わせますが、これは中国伝来の
神仙思想や隠遁思想が影響しているといいます。

清浄な世界で世事に惑わされずに暮らしたいという、
そんな願望も「山里」という言葉には込められていたのですね。