読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【59】みじかきあしの


葦は長いか短いか

和歌には定番植物があり、葦(あし)もその一つ。
百人一首にももちろん出てきます。

難波がたみじかき葦のふしのまも あはでこの世を過ぐしてよとや
(十九 伊勢)

難波潟に生える葦の節と節の間のように短い間でさえ
あなたに逢わずにこの世を過ごしていけとおっしゃるのでしょうか

葦は水辺に群生するイネ科の植物。
生長すると3メートル以上になることもあり、
節と節の間は決して短いとはいえません。
どうして和歌では短いものの代名詞になったのか、不思議です。

また伊勢の「ふしのま」の用例はめずらしく
通常は節と節の間を「よ」と呼んでいます。
以前に「澪標(みをつくし)」のところで紹介した
皇嘉門院別当(こうがもんいんのべっとう)もその例です。

難波江のあしのかりねの一夜ゆゑ みをつくしてや恋わたるべき
(八十八 皇嘉門院別当)

難波江の葦の刈り根の一節(ひとよ)のように
あなたと過ごした短い一夜(ひとよ)のために
わたしはこの身を捧げて思いつづけるのでしょうか

「かりね」と「ひとよ」「みをつくし」が掛詞になっています。
伊勢の「世」も「節」をあらわす葦の縁語なのかもしれません。


難波潟は葦の名所

難波の葦ばかり出てきましたが、
かつてここには大きな湿原があり、葦がたくさん生えていました。
「難波潟」「難波江」は歌枕です。

曾禰好忠(そねのよしただ 四十六)はこんな歌を詠んでいます。

みしま江につのぐみわたる蘆の根の ひとよのほどに春めきにけり
(後拾遺集 春 曽禰好忠)

三島江の一面に広がって芽を出している葦の根よ
その葦の一節のように短い一夜のうちに春めいたものだ

「三島江」は摂津国の北東部を指し、これも歌枕。
ここも昔は葦や真菰(まこも)の名所だったそうです。
「葦の根の」は「短き」「憂き」「夜」「世」などにかかる枕詞。

第三句までが「ひとよ」を導く序詞ですが、
地下茎から角のように顔を出す葦の新芽が
見渡すかぎりの葦原を春の色に変えていくさまが目に浮かびます。

葦の根はびっしりと隙間なくからみあうので、
藤原忠通(七十六)のこの歌のような用例もあります。

岩沼は下はふ芦の根をしげみ ひまなき恋を君しるらめや
(金葉集 恋 摂政左大臣)

岩沼は底を這う葦の根が隙間なく生えているので
(それが邪魔をして気づいていただけないのですが)
わたしが言わぬ間は 葦の根のように隙(ひま)なく思い続けている
この恋をあなたに知ってはもらえないでしょうね

「岩沼」と「言わぬ間」が掛詞。
葦の根に障害物と一途な恋心の二つの意味をもたせるなど、
技巧を尽して切ない思いを詠い上げています。