読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【64】月やはものを思はする


さすらう恋愛詩人

神とまで崇められた人麿、
絶世の美女伝説の小野小町、
棄てられた皇子伝説の蝉丸、
怨霊伝説の菅原道真、崇徳院。

百人一首には伝説のスターが何人もいますが、
もっとも親しまれているスターは、おそらく西行。

俗世を厭い、自然に親しむ漂泊の生活をつづけながら
平明で清新な和歌を生み出しつづけたその生き方には、
生前からファンが多かったといいます。

しかし西行人気を決定づけたのは
没後間もなく完成した『新古今和歌集』でした。
ここに西行は94首もの歌を採られており、
大歌人としてのお墨付きを得たのです。

西行の歌といえば花と月が定番。
一方で恋の歌も多く、出家の原因が高貴な女性との
許されぬ恋にあったという推測を生む根拠ともなっています。
大河ドラマ『清盛』では、まだ武士だった頃の西行、
つまり佐藤義清(のりきよ)の恋が描かれていましたね。

百人一首に選ばれたのも、恋の歌のひとつ。

嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
(八十六 西行法師)

嘆けといって月が物思いをさせるのだろうか
などと月のせいにしながら涙がこぼれることよ

本当は月のせいではなくて恋のせい。
わかっていながら「あの月が…」と涙がいいわけをする。
涙を擬人化しているのがこの歌の面白さでしょう。


月と涙と恋心

家集『山家集』の恋の歌から
月と涙の詠われたものを選んでみました。

よしさらば涙の池に身をなして 心のままに月をやどさむ
(山家集 恋)

そういうことならこの身を涙の池にしてしまって
好きなだけ月を映していようではないか

「そういうこと」というのはどうしても会えないということ。
だったらいっそ、自分が涙の池になってあなたの姿を映していようと。
近代詩人が書きそうな、大胆で自由な発想ですね。

涙ゆゑ隈なき月ぞくもりぬる あまのはら/\ねのみなかれて
(山家集 恋)

澄み切った月が涙のせいで曇ってしまった
声をあげて泣いてばかりいて大空にはらはらと涙が落ちるから

「音を泣く」は声を出して泣くこと。
「天の原」と「はらはら」の掛詞がユーモラスに感じられます。

忍びねのなみだたゝふる袖のうちに なづまず宿る秋の夜の月
(山家集 恋)

忍び泣きの涙を貯めた袖の中に
秋の夜の月はためらうこともなく映ることよ

かなわぬ恋に声を忍んで泣く涙、
そのしずくが月の光をうけてきらきらと輝いているのです。

月と涙は詩人西行のイマジネーションを
かき立てるものだったようです。