読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【65】憂き世にながらへば


運命に翻弄された生涯

『後拾遺集』から採られた三条院の歌には
このような詞書があります。

例ならずおはしまして位などさらむとおぼしめしけるころ
月のあかゝりけるを御覧じて

ご病気になられて天皇の座から去ろうとお思いだったころ
月の明るいのをご覧になって

そして歌は

心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな
(六十八 三条院)

思いに反してこのつらい世に生きながらえることがあったら
今夜のこの月を恋しく思い出すことだろう

詞書とともに読むと、
宮中で月を見ながら譲位を考えていたのだとわかります。

三条天皇の病気は重い眼病でした。
職務に支障をきたすほどだったといいますが、
この夜は月がはっきり見えていたのでしょうか。

譲位は眼病だけが理由ではありませんでした。
天皇はほかにも神経系疾患など多くの病をかかえており、
在位中に二度も内裏が焼け落ちたり、さらには物の怪が出没したり、
不安定な治世がつづいていたのです。

そしてもう一つの理由が藤原道長との確執。
道長は長女彰子(しょうし:一条天皇の后)が産んだ
孫の敦成(あつひら)親王を天皇にするため、
症状の悪化などを理由に三条天皇に譲位を迫っていました。

三条天皇は長和5年(1016年)、太上(だいじょう)天皇の尊号を奉られ、
在位5年に満たず譲位。その後出家しますが、
翌年には40年の生涯を閉じています。


月に心をなぐさめて

三条院は歌人と呼ぶほどの人ではなく、勅撰入集もわずか8首。
そしてその半分が月を詠んだものです。

秋にまた逢はむあはじもしらぬ身は 今宵ばかりの月をだに見む
(詞花集 秋 三条院御製)

また来る秋に逢えるか逢えないかもわからないわが身は
せめて今宵の月を(最後と思って)見ておこう

天皇は失明の恐怖を抱いていたのでしょうか。
命さえ長くはないと感じていたのでしょうか。

あしびきの山のあなたにすむ人は 待たでや秋の月を見るらむ
(新古今集 秋 三条院御歌)

月の昇るあの山の向こうに住んでいる人は
(わたしのように月の出を)待たないで秋の月を見ることだろう

よく見えぬ目で、かすんで見える月を待ったのでしょう。
月に心をなぐさめる、孤独な夜を思わせる歌です。

月影の山の端わけてかくれなば そむくうき世をわれやながめむ
(新古今集 雑 三条院御歌)

月が山の稜線に隠れるようにあなたが世を捨てて去ってしまったら
(残された)わたしはこの世でもの思いに沈むことだろう

東宮時代、親しかった人が出家を望んでいると知って詠んだもの。
山に隠れる月にたとえたのは、孤独な三条天皇にとって
月が身近なものだったからでしょう。