読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【36】月見る月はこの月の月


日本人は月が好き

英語では天体の日と一日の日を”sun”と”day”に分けていますが、
日本語はどちらも「日」を使います。
空の月と一ヶ月の月は、英語では”moon”と”month”ですが、
日本語ではどちらも「月」といいます。

これを活かして作られたのが次の和歌。
なんと、月が八つも入っています。

月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月
(よみ人知らず)

毎月のように月を鑑賞する月があるけれど
名月を見る月といえばまさに今月のこの月だね

一日は日の動きを基準に、
一月は月の満ち欠けの周期を基準にしていましたから、
どちらも生活に密着した天体だったはず。

しかし日本では万葉の昔から日を詠んだ歌は少なく、
月の歌は数え切れないほど詠まれてきました。
星については七夕のとき詠まれるていど。
わたしたちは昔から、月に特別に親しみを感じてきたようです。

百人一首でも月の歌は11首を数えます。

月見れば千々にものこそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど
(二十三大江千里)

月を見ているとあれこれと悲しい思いが湧いてくる
秋はわたしのところだけに来るわけではないのだが

悲しみを映すのは、やはり月がふさわしいのでしょう。
恋の思いを託すのも月、故郷を思い出させるのも月。
月は歌人たちの「あはれ」を受けとめてくれるのですね。

千里(ちさと)の歌は多くの類歌を生みました。
たくさんあるので、ここでは鴨長明の本歌取りだけ紹介しておきます。

ながむればちぢにもの思ふ月にまたわが身ひとつの嶺の松風
(新古今集秋鴨長明)

月を眺めているとあれこれもの思いをしてしまうものだが
独りで峰を吹く松風を聞いているわたしは
いっそう悲しさを感じてしまうよ


月の呼び名あれこれ

三日月や満月といった、今でも使う呼び名のほかに、
昔の人は月にさまざまな名をつけていました。

たとえば十六夜(いざよい)の月。
十六夜は十五夜に比べて30分ほど月の出が遅くなるので、
それを月がいざよう(ためらう)と表現したのです。

それ以降は17日の月を立待(たちまち)月、
18日を居待(いまち)月、19日を寝待(ねまち)月と呼びます。
月の出を待つ人の姿勢を名前にしているのが面白いですね。

月の出が遅いということは月の入りも遅いわけですから、
明け方の空に残る有明(ありあけ)の月は
だいたい16日か17日以降の月ということになります。
有明の月を三日月の形に描いた絵師がいたら、
知識を疑ってみないといけません。

逆に月の出の早い間は夕方から空に月があるので、
夕月夜(ゆうづくよ)と呼んでいました。
これも風情のある呼び方ですね。