読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【43】みをつくしても


澪標は航路標識

百人一首で「みをつくし」が出てくるのは
元良親王(バックナンバー《20》参照)の情熱的な不倫の歌。

侘びぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
(二十 元良親王)

(事が露見して)思い案じていますがもう身を滅ぼしたようなもの
澪標(みをつくし)のように身を尽くしてでもお逢いしたいと思います

「みをつくし」と「身を尽くし」が掛けてある
というのはわかりますが、そもそも澪標とは何なのでしょう。

大きい川の河口には三角州ができることがありますね。
その三角州に自然にできる細い水路をみを(水緒)と呼び、
昔から小さい舟の航路になっていました。

みをは浅いので、高潮などで水没すると
どこにあるのかわからなくなってしまいます。
そこで、事故を防ぐため水路のありかを示す杭を打ち込み、
「みを・つ・くし」と名づけました。

「つ」は「の」と同じなので「水緒の串」ということ。
杭のことを串と呼んだのですね。
澪杭(みをぐい)や澪木(みをぎ)とも呼ぶのですが、
歌語では「みをつくし」が一般的です。


頼りになるのか切ないのか

遠江引佐細江の澪標 我を頼めてあさましものを
(万葉集 巻第十四 3429)

小舟が浜名湖の引佐細江の澪標を頼るように信じさせておきながら
(あなたは)浅い(軽い)気持だったなんて

『万葉集』のこの歌は、
左注に「遠江国(とほつあふみのくに)の歌」とあります。
場所は浜名湖の北、現在奥浜名湖と呼ばれて
都田川が注いでいる引佐細江(いなさほそえ)辺りでしょう。
細江という名は澪を指しているように思えます。

上掲歌、澪は浅いので「あさまし」を導いていますが、
「身を尽くし」の意味は持たせず、
頼りになるものの譬喩(たとえ)に引いています。

ここで百人一首にあるもう一つの「みをつくし」を。

難波江のあしのかりねの一夜ゆゑ みをつくしてや恋わたるべき
(八十八 皇嘉門院別当)

難波江の葦の刈り根の一節(ひとよ)のように
あなたと過ごした短い一夜(ひとよ)のために
わたしはこの身を捧げて思いつづけるのでしょうか

皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)の歌は
序詞、掛詞、縁語を用いた精緻な仕上がりで知られる名歌。
元良親王と同じ難波の澪標を入れて
「身を尽くし」と掛けています。

都に近いところでは難波(大阪湾)の澪標がもっとも有名だったので、
平安時代の和歌にはよく詠われているのです。

ちなみに大阪市の市章は澪標をデザイン化したもの。
細江町の町章も澪標でしたが、合併吸収されたので
今では見ることができないようです。