『小倉百人一首』
あらかるた
【47】神になった万葉歌人〔後〕
明石に立ち寄った小野篁
人麻呂真作説に待ったをかけているのが『今昔物語集』。
「ほのぼのと」の歌の作者を
小野篁(おののたかむら)とする逸話を載せています。
篁は遣唐使船への乗船を拒否したり、
遣唐使を風刺する詩を作ったりして上皇を怒らせ、
隠岐へ流されてしまった人物。
その篁がいよいよ隠岐を目指して出航というときに詠んだのが、
百人一首にも選ばれたこの歌です。
わたの原八十島かけて漕ぎ出ぬと 人にはつげよあまの釣舟
(十一 参議篁)
はるかに広がる海原を 島々目指して漕ぎ出していったと
都の人たちに伝えておくれ 海人の釣舟よ
こうして瀬戸内海に乗り出した篁の一行は、明石に一泊します。
晩秋の寒さに早く目覚めた篁、朝霧の海を眺めていると
一艘の船が島に隠れて見えなくなっていきます。
それを見た篁は「ほのぼのと」の歌を詠み、
哀れさに涙を流したというのです。
ありそうな話に思えてしまいますね。
篁の出航は冬の12月だったので秋という記述は間違いですが、
それとは関係なく、これは後世のだれかの創作伝説でしょう。
放っておけないほど「ほのぼのと」が魅力的だったのです。
全国に広まった人丸信仰
人麻呂はわが国初の職業歌人と見做されています。
『万葉集』所収歌の多くが
天皇や皇子のための賛歌や挽歌で占められているためで、
「歌」によって宮廷に仕えた人物と考えられるのです。
しかしその生涯はほとんどわかっておらず、
『万葉集』によって石見で世を去ったらしいと確認できるのみです。
柿本朝臣人麻呂 石見国に在りて死に臨む時に
自ら傷みて作れる歌一首
鴨山の磐根しまける我をかも 知らにと妹が待ちつつあらむ
鴨山(未詳)の根を張った岩を枕にしているわたしのことを
知らずに妻は待ちつづけているのだろうか
歌中の鴨山は島根県益田市にあった鴨島であるとして、
臨終の地に霊を祀る高津柿本神社が建てられています。
人麿千年祭を享保8年(1723年)に行った際、
人麻呂は「柿本大明神」の神号を賜っているそうです。
同じ益田市に人麻呂の遺髪塚のある戸田柿本神社があるほか、
栃木、埼玉、奈良、山口など全国各地に人麻呂を主祭神とする神社があり、
合祀を含めると100社は軽く超えるでしょう。
これほどの歌人、世界的にもめずらしいかも知れません。