読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【9】和歌の言語遊戯


在原業平の言語遊戯

日本を代表するプレイボーイ、在原業平(ありわらのなりひら)は
六歌仙、三十六歌仙に選ばれた大歌人でもあります。

百人一首に収められた業平の歌は

ちはやぶる神代もきかず龍田川 から紅に水くくるとは
(十七 在原業平阿朝臣)

不思議なことの多かった神の時代でさえ聞いたことがありません
龍田川が水を鮮やかな赤にくくり染めするなんて

これは屏風歌と呼ばれるもので、
二条の后の邸で新調された屏風の絵を見て詠んだもの。
百人一首でも屈指の華やかな歌として知られます。

『伊勢物語』をご存じの方は
文徳天皇の女御に仕えていたころの二条の后、
つまり藤原高子(ふじわらのたかいこ)を
業平が背負って逃げたという逸話を思い出されるでしょう。

ちなみに二条の后は「つくばねの」の歌で知られる
陽成院(十三)の母親です。
さて、業平の歌は教科書古典としても有名です。
この歌を『伊勢物語』の授業で教わりませんでしたか。

から衣きつゝなれにしつましあれば はるばるきぬる旅をしぞ思ふ
(古今集 羇旅 在原業平阿朝臣)

唐衣を着慣れるように親しんだ妻が都にいるので
はるばる遠くまでやってきた旅をしみじみ思うことだ

折句(おりく)の見本といわれる歌です。
折句は句の頭に何かの言葉を折り込むもの。
五つの句の頭を順に読むと
「か・き・つ・は・た」(かきつばた)となります。
か らころも
き つつなれにし
つ ましあれば
は るばるきぬる
た びをしぞおもふ

業平を六歌仙に選んだ紀貫之(きのつらゆき)にも
折句の作品が遺されています。

をぐら山みねたちならしなく鹿の へにけむ秋をしる人ぞなき
(古今集 物名 紀貫之)

小倉山の峰を何年も行き来して鳴く鹿が
これまで過ごしてきた秋を知る人はいない

詞書(ことばがき)によると、
朱雀院(すざくいん)が女郎花合(おみなえしあわせ)を催した際に
「を・み・な・へ・し」の五文字を句の頭において詠んだもの。
たしかにきれいに折り込まれています。
を ぐらやま
み ねたちならし
な くしかの
へ にけむあきを
し るひとぞなき

ちなみに女郎花合というのは物合(ものあわせ)のひとつで、
それぞれが持ち寄った女郎花の優劣を競うもの。
歌合、薫物合、扇合などと同じルールです。

物合はただ競い合うだけでなく、
和歌を詠んだり管弦を楽しんだりしていました。
物合の素材が和歌のテーマとして出題されることもあったのです。


吉田兼好の言語遊戯

折句を発展させた沓冠(くつかむり)というテクニックもあります。
こちらの代表は『徒然草』でおなじみの吉田兼好。
かれが知人に送った手紙にはこんな歌が書かれていました。

夜も涼し 寝覚めの仮庵(かりほ)手枕もま袖も秋にへだてなき風
(続草庵集)

夜も涼しくなった 粗末な住まいで夜中に目覚めると
枕にも袖にも容赦なく秋の風が吹き込んでくる

近況報告のような歌ですが、
ひらがなでこのように書き直してみましょう。

よ も す ず し
ね ざめのかり ほ
た ま く ら も
ま そでもあき に
へ だてなきか ぜ

左端の文字を縦に読むと「米給へ(米をください)」
右端の文字を下から読むと「銭も欲し」となります。
各句の最初と最後を読むので沓(くつ)と冠(かむり)なのです。
米とお金を無心された知人からは
このような返事が来ました。

夜も憂し ねたくわが背子果ては来ず なほざりだにしばし問ひませ
(続草庵集)

夜もつらい しゃくなことにあなたは結局来ないのね
いい加減な気持でもいいから ちょっとおいでなさい

知人もたいしたもので、この歌も沓冠です。

よ る も う し
ね たくわがせ こ
は て は こ ず
な ほざりにだ に
し ばしとひま せ

同じように読むと「米は無し」「銭少し」となります。
おそらくお金だけは送ってくれたのでしょう。


同音異義語を遊ぶ

日本の文学で最も一般的な言語遊戯は
「掛詞(かけことば)」ではないでしょうか。
和歌では当然のように使われ、
謡曲(能)や浄瑠璃、俳句などにも受け継がれました。

難しくいえば同音異義語を巧みに使うもので、
小野小町の「花の色は」がわかりやすい例です。(十一話に既出)
業平の兄、在原行平(ありわらのゆきひら)の歌にも
掛詞が二カ所使われています。

立ち別れいなばの山の峯におふる まつとし聞かば今かへり来む
(十六 中納言行平)

あなたと別れて因幡の国へ行きますが 山の峰に生えている松のように
あなたが待っていると聞いたなら すぐにでも帰ってきましょう

「松」と「待つ」が掛詞なのはすぐわかりますが、
「いなば」も「因幡」と「往なば」を掛けています。

この歌は『古今集』の「離別」の部に収められ、
行平が因幡(鳥取県)に国守として赴任する際に詠んだもの。
仕事ですから気軽に帰ってくることはできないはずですが、
大丈夫だから心配しないでねという気持を伝えたかったのでしょう。
藤原実方(ふじわらのさねかた)はさらに技巧的です。

かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを
(五十一 藤原実方朝臣)

これほど(恋しています)とさえ言えないので
さしも草のように燃える思いを知ることはないでしょうね

「えやは言ふ(言うことができようか)」は「伊吹山」に掛かり、
「さしも草(よもぎ)」が「さしも(それほどにも)」を導き、
「さしも草」の縁語の「燃ゆる」につないでいます。
さらに「思ひ」の「ひ」は「火」を掛けています。
(よもぎはお灸に使うもぐさの原料です。)

オヤジギャグの連発じゃないかと思われそうですが、
贈られた女性はどのように感じたのでしょう。
では最後にだれでも知っている掛詞の例を。
いつしか年もすぎの戸を 開けてぞ今朝は別れ行く
『蛍の光』の歌詞です。それでは次回までのお別れ。