読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【19】恋の歌人 和泉式部


命あるうちに今ひとたび

百人一首にある和泉式部(いずみしきぶ)の歌は
病の床に臥してから書かれたそうです。

あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな
(五十六和泉式部)

わたしの命はもう長くないでしょう
あの世への思い出にもう一度逢うことができますでしょうか

「この世」は「今生(こんじょう)」、
「ほかの(世)」は「他生(たしょう)」のこと。
「他生の縁」の「他生」ですが、
この場合は来世(らいせ)と同じです。

今ひとたびの逢瀬を来世への思い出にしたいという、
この歌を贈られた男性はだれなのでしょう。

和泉式部は梨壺五歌仙(なしつぼごかせん)のひとりです。
上東門院(じょうとうもんいん)、
つまり中宮彰子に仕えた歌人ベスト5のことで、
あと四人は

赤染衛門(あかぞめえもん)
伊勢大輔(いせのたいふ)
馬内侍(むまのないし)
紫式部(むらさきしきぶ)

というそうそうたる顔ぶれ。
馬内侍以外はすべて百人一首に選ばれています。

なかでも和泉式部は
勅撰和歌集に選ばれた歌数が女性歌人としてはもっとも多く、
抒情的な作風は後世に大きな影響を及ぼしています。


バツイチのシンデレラか

和泉式部は生没年不詳。
父は越前守大江雅致(おおえのまさむね)、
母は越中守平保衡(たいらのやすひら)の女(むすめ)。
20歳のころ和泉守橘道貞(たちばなのみちさだ)の妻となり、
まもなく小式部内侍(こしきぶのないし六十)を産みます。

しかし夫婦仲はうまくいかず、冷泉(れいぜい)天皇の皇子
弾正宮(だんじょうのみや)との恋に走り、
夫とは断絶、父親からは勘当されることに。

そして身分ちがいの恋は長くはつづかず、
弾正宮は26歳で亡くなってしまいます。

悲しみも癒えぬその翌年、式部は弾正宮の弟
帥宮(そちのみや)敦道(あつみち)親王から求愛されます。

相次ぐプリンスからの求愛!
式部はどれほど魅力的な女性だったのでしょう。

ふたりはすぐ相思相愛となりますが、
式部を独占したい帥宮は
周囲に相談もせず式部を自邸に住まわせてしまい、
ついに宮妃(正妻)が邸から去っていくという
大スキャンダルに発展します。

ところが世間を騒がせた恋も、
その3年後、あっけなく終焉を迎えます。
帥宮が病気のため27歳の若さで世を去ったのです。

和泉式部が中宮彰子の女房となったのは1009年(寛弘6年)、
帥宮の死から2年後のことです。
式部は30歳くらいだったと考えられます。

それにしても、
式部を「うかれ女」と呼んだ藤原道長が
なぜそんな奔放な女性を自分の娘に仕えさせようと
考えたのでしょう。
優れた才能は認めていたということでしょうか。


禁断の恋の記録

『和泉式部日記』によると、
弾正宮の一周忌も近い1003年(長保5年)の春
和泉式部のもとを小舎人童(こどねりわらわ)が訪れます。
小舎人童とは、貴族に仕えて雑用を行う少年のことです。

かつて弾正の宮に仕えていた少年は、
今は弟君の帥宮に仕えているといいます。

少年は帥宮から橘(たちばな)の花を預かってきていました。
「この花をどうご覧になりますか」という言づてとともに。

式部は花を見て、古今集にある歌を思い出します。

五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
(古今集夏よみ人知らず)

弟君も亡き弾正の宮を偲んでいるのでしょうか。

ご返事はいかがいたしましょうと言われた式部、
このように書いて童に持たせてやります。

かをる香によそふるよりはほとゝぎす聞かばや同じ声やしたると

昔の人の香がする花よりも
昔と同じ声がするというほととぎすを聴きたいと思います

式部は素性法師(二十一)の次の歌を踏まえています。

いそのかみ古きみやこの郭公声ばかりこそ昔なりけれ
(古今集夏素性法師)

古い奈良の都の石上寺(いそのかみでら)は古びてしまったけれど
ほととぎすの鳴き声だけは昔のままであることよ

帥宮は橘を贈って、昔の人の香を憶えているかと尋ねたのです。
式部は香よりも昔の人と同じ声が聴きたいと答えます。

これでは宮に逢いたいといっているようなもの。
宮からはすぐ返事がきます。

同じ枝になきつゝをりしほとゝぎす声は変はらぬものと知らずや

わたしたち兄弟は同じ枝で鳴いていたほととぎす
わたしの声が兄と変わらないことをご存知ないのですか

この贈答歌がきっかけとなって、帥宮との禁断の恋が始まります。
『和泉式部日記』は橘の一件から宮妃の退居までを記したものです。


帥宮への挽歌

和泉式部は帥宮の四十九日の法要のころから一周忌に至るまでの間に、
百首を超える挽歌(ばんか)を遺しました。
挽歌とは人の死をいたむ歌のことです。

管の根のながき春日もあるものをみじかゝりける君ぞ悲しき

菅(すげ)の根のように長い春の日もあるというのに
短かったあなたの人生が悲しまれます

三月に詠んだ歌と詞書にあります。
「すがのねの」は「長し」や「乱る」にかかる枕詞です。

ものをのみ乱れてぞ思ふたれにかは今はなげかんむばたまの筋

もの思いする心も乱れてくしけずることさえ忘れ
黒髪も乱れたまま だれに嘆きを聞いてもらえるのでしょう

明けても暮れても悲しみに沈む心。
このような挽歌の連作はほかに例を見ないものです。
式部は歌を連ねて傷心を癒していたのでしょう。