読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【24】歌林苑の歌人たち


和歌の名門に生まれて

俊恵(しゅんえ)は父親が源俊頼(としより七十四)、
祖父が源経信(つねのぶ七十一)という和歌の家系。

俊頼は『金葉集』の撰者で数々の歌合の判者もつとめた大家であり、
経信は公任(きんとう五十五→第四十回に既出)に並ぶほどの
諸芸に優れた人物でした。

その息子俊恵は若くして東大寺の僧となりますが、
京都白川に僧坊をつくって歌林苑(かりんえん)と名づけ、
歌会や歌合を催して多くの歌人を集め、
やがて歌壇の一大勢力を形成していきます。

保元の乱の頃から20年ほどつづいたといい、
歌の研鑽だけでなく生活上の相談もしていたそうです。
歌林苑はまさに乱世の歌人生活協同組合?

百人一首に選ばれた俊恵の歌を見てみましょう。

夜もすがらもの思ふころは明けやらでねやのひまさへつれなかりけり
(八十五俊恵法師)

一晩中つれないあなたを思って嘆いているこのごろは
なかなか夜は明けず寝室の戸の隙間まで無情に思えます

歌合で詠まれた恋の歌。
隙間を「つれない」とした発想が独特です。
あの隙間から訪ねてくる恋人の姿が見えないかと、
夜もすがら気にしていたのでしょうか。


歌林苑の女性歌人

藤原信成の娘、殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)は
歌林苑に参加する以前から有名な歌人でした。
多作で知られ勅撰集に63首入集。
家集『殷富門院大輔集』もあります。

見せばやなをじまのあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず
(九十殷富門院大輔)

お見せしたいものです涙で色の変わってしまったわたしの袖を
雄島の漁師の袖さえ濡れに濡れても色は変わらないというのに

これも歌合の恋の歌。
意味のとりにくい歌ですが、本歌を知れば謎は氷解します。

松嶋やをじまの磯にあさりせし海士の袖こそかくはぬれしか
(後拾遺集恋源重之)

松嶋の雄島の磯に漁をする漁師の袖くらいのものでしょう
あなたを思って涙するわたしの袖が濡れるのは

あなたの袖も濡れるかも知れませんが
色までは変わらないでしょうというわけです。

歌林苑の女性メンバーにはもうひとりの有名人、
二条院讃岐(にじょういんのさぬき)もいました。
「沖の石の讃岐」の逸話はすでに紹介したので(第十四回参照)
『新古今集』から春の一首を。

山たかみ峯の嵐に散る花の月にあまぎる明け方の空
(新古今集春二条院讃岐)

山が高いので峰吹く嵐で散る桜の花が
月をさえぎり霞ませている明け方の空よ

叙景歌ですが、この風景は静止していません。動的です。
讃岐の力量のほどがよくわかる一首といえるでしょう。


歌林苑の男性歌人

二条院讃岐の父親、源三位頼政(げんさんみよりまさ)と
兄の源仲綱(みなもとのなかつな)も歌林苑のメンバーでした。

歌林苑の歌会で詠まれた歌を見てみましょう。

山めぐる雲の下にやなりぬらむすそ野の原に時雨すぐなり
(千載集冬源三位頼政)

山から山へめぐり行く雲の下になったのだろう
裾野の原を時雨(しぐれ)が通り過ぎていく

咲きまじる花をわけとや白雲の山をはなれて立ちのぼるらむ
(玉葉集春源仲綱)

混じるように咲く桜の花を見分けよというので
白雲は山を離れて立ち昇ってゆくのだろうか

さらに百人一首に撰ばれなかった歌人をつづけます。
まず賀茂重保(かものしげやす)。
名前から想像がつくように、神主の息子です。

ほととぎすしのぶるころは山びこのこたふる声もほのかにぞする
(千載集夏賀茂重保)

ほととぎすが忍び音のころには
山彦の応える声もほのかに聞えるばかりだ

つづいて『徒然草』に出てくる登蓮法師(とうれんほうし)。
「ますほの薄(すすき)」(第百八十八段)の逸話で知られます。

もろともに見し人いかになりにけむ月は昔にかはらざりけり
(千載集雑登蓮法師)

ともに月を見た人はどうしてしまっただろうか
月は昔となにも変わっていないのだが


歌林苑の有名歌人

百人一首にもどりましょう。

道因(どういん)は俗名を藤原敦頼(あつより)といい、
かなり高齢になってから歌人として活動を開始しました。

俊恵の歌林苑に参加したほか、
歌の上達を願って住吉神社にたびたびお参りをしたり、
90歳を超えても数々の歌合に参加しつづけたといわれます。

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり
(八十二道因法師)

つれない人を思って嘆き悲しみながらも生き長らえてきた
それなのにつらさに耐えられず涙がこぼれることよ

藤原清輔(ふじわらのきよすけ)にも
似た雰囲気の歌があります。

ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき
(八十四藤原清輔朝臣)

生き長らえたならつらい今のことも懐かしく思えるだろう
つらいと思ったあのころが今では恋しい

清輔はさまざまな歌学書を執筆して歌道を集大成。
関白九条兼実の和歌師範を務めるなど、
歌壇に大きく貢献しました。

歌林苑グループの影響力の大きさがわかります。