読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【2】雲が隠すもの


雲に隠れる古都の山

今回のテーマは雲隠れ。
まず源俊頼(みなもとのとしより 七十四)が
天の香具山を題材に詠んだいかにも夏らしい雲隠れから。

十市には夕立すらし ひさかたの天の香具山雲がくれゆく
(新古今和歌集 夏 源俊頼朝臣)

十市(とおち)は夕立になっているらしいな
天の香具山が見えなくなっていくよ

詞書に「雲隔遠望(くもえんぼうをへだつ)」とあり、
文字どおりに解釈すれば雲が香具山を隠すのですが、
高さ百五十メートルそこそこの山は、雲に隠れるのでしょうか。
あべのハルカスの半分しかないはずだが…
などと考えず、すなおに情景を思い浮かべるのがよさそうです。

地理的に十市(橿原にある地名)は天の香具山の北側です。
京都方向から見ると、十市に降る雨は香具山を隠すのでしょう。
古都の地名を入れたのが俊頼の手柄で、
この二文字によって長い歴史を意識させる歌になっています。

百人一首で雲隠れといえば、
紫式部のこの歌ですね。

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな
(五十七 紫式部)

久しぶりにめぐり逢って その人かどうかも見分けられないうちに
雲隠れした夜半(よわ)の月のように あなたは去ってしまったことね

数年ぶりに会った少女時代からの友人が、
父親の赴任に同行するために都を去っていったのです。
再会できた時間の短さを嘆く気持が
「雲がくれにし夜半の月」に表れています。

藤原定家(九十七)は『源氏物語』の「雲隠」の巻を意識して
「めぐり逢ひて」の歌を百人一首に採ったのではないか。
そう考える人もいます。


貴人の死を象徴

死期の近いことを悟った光源氏は「幻」の巻で、
秘蔵の手紙を焼くなど身辺整理を始めます。
しかしそれにつづく「雲隠」は巻名のみで本文がありません。

紛失したのかもともと存在しないのか…。
定家はそこに興味を持ち「雲隠れ」の語を含むこの歌を選んだのだろうと。

真相はさておき、
古典文学には「雲隠れ」で人の死を表したものがあります。
次の歌は西園寺公経(きんつね 九十六)が
ある貴族の死を悼んで詠んだもの。

あはれなどまた見るかげのなかるらむ くもがくれても月はいでけり
(新勅撰和歌集 雑 入道前太政大臣)

ああどうして再びお姿を拝見することができないのか
月は雲に隠れても再び現れているのに

貴人が「お隠れになる」のは
月が見えなくなるのにたとえられるのです。
現代の、それも一般人の雲隠れは逃亡、トンズラですから、
ずいぶん大きな隔たりがありますね。