続『小倉百人一首』
あらかるた
【6】秋に鳴く虫
こおろぎときりぎりす
百人一首に出てくる虫といえばきりぎりす。
めずらしい歌題ではないのですが、
不思議なことに『万葉集』にはきりぎりすの歌は見当たらず、
秋の虫ではこおろぎを詠んだ歌が六首あるだけです。
庭草に村雨降りて こほろぎの鳴くこゑきけば秋づきにけり
(万葉集巻第十 2160 よみ人知らず)
庭の草ににわか雨が降ってこおろぎの鳴く声を聞くと
秋らしくなった(と感じられる)
念のため『古今和歌集』以降の勅撰和歌集を調べてみると、
きりぎりすの歌は多いのにこおろぎの歌は見つかりませんでした。
奈良時代から平安時代にかけて、いったい何があったのか。
詳細はわからないのですが、平安時代には
こおろぎときりぎりすの名前が入れ替わっていたと考えられており、
現代語訳では「きりぎりす」を「こおろぎ」と書き直すのが通例です。
きりぎりすなくや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
(九十一 後京極摂政太政大臣)
霜が降りるような寒い夜 こおろぎの鳴き声を聞きながら
わたしは筵(むしろ)に衣の片袖を敷いてひとりで寝るのか
藤原良経(ふじわらのよしつね)の歌。
霜の降りるころきりぎりすは姿を消していますから、
鳴いたのはやはりこおろぎなのでしょうね。
藤原基俊(もととし 七十五)の歌は、
床近しあなかま夜半のきりぎりす 夢にも人の見えもこそすれ
(新古今和歌集 恋 藤原基俊)
床に近いところで鳴くな 夜中のこおろぎよ
あの人が夢に見えるかもしれないというのに
「あなかま(=うるさい、黙れ)」と命じているユーモラスな一首。
きりぎりすは夜は鳴かないはずなので、
こちらも実際はこおろぎなのでしょう。
貴族の昆虫採集
平安時代の末に始まったとされる
撰虫(むしえらみ)という行事がありました。
今でいう昆虫採集です。
嵯峨野などで虫を集めて華麗な装飾の虫かごに入れておき、
宮中や貴族の邸宅の宴会で室内に放ったのだとか。
また虫の鳴き声の優劣を競う虫合(むしあわせ)も行われ、
虫の歌を詠む歌合(うたあわせ)も開催されたといいます。
平安末期以降虫を詠んだ歌が増えているのは
その反映なのでしょう。
さて、秋に鳴く虫といえば
松虫と鈴虫は欠かせません。
千歳とぞ草むらごとに聞こゆなる こや松虫の声にはあるらむ
(拾遺和歌集 賀 平兼盛)
「ちとせちとせ」とあちこちの草むらから聞こえてきます
これは(あなたを祝福する)松虫の声なのでしょう
松虫が長寿を願って歌っているという兼盛(四十)の一首。
秋の宴席に招かれた返礼の歌だったようです。
鈴虫の声ふりたつる秋の夜は 哀れにものゝなりまさるかな
(玉葉和歌集 秋 和泉式部)
鈴虫がさかんに鳴き声を立てる秋の夜は
物寂しさがいっそう深まるのですね
和泉式部(五十六)はしんみりしているようですが、
虫の声に風情を感じたり感情移入したりするのは、
昔からわたしたち日本人の得意とするところでした。
今夜はどんな虫の声が聞こえるでしょうか。