続『小倉百人一首』
あらかるた
			【7】衛士のたく火
宮廷警固のかがり火
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の歌は
御垣守(みかきもり)のかがり火を恋の思いにたとえたものでした。
 御垣守衛士のたく火の 夜はもえ昼は消えつゝものをこそ思へ
    (四十九 大中臣能宣)
 宮廷の門を守る兵士のたく火が夜は燃え 昼は消えているように
	  わたしの思いも夜は燃えるほど激しく
  昼は消え入るほどに沈んでいます
 それに対し赤染衛門(あかぞめえもん 五十九)の次の歌は、
    衛士のたく火が人物(=上皇)の象徴として詠まれています。
 消えにけるゑじのたく火の跡をみて 煙となりし君ぞかなしき
  (拾遺和歌集 哀傷 赤染衛門)
 消えてしまった衛士のたく火の跡を見て
  煙となった(=お亡くなりになった)陛下に心が痛みます
 一条天皇の没後、赤染衛門は
	  譲位後の御所だった一条院の前を通りかかり、
	  もはや焚かれることのないかがり火の跡を見たのです。
	  御所は護られるべき主(あるじ)を失っていました。
  
衛士のたく火は都の象徴
藤原定家(ふじわらのていか 九十七)にも
衛士のたく火を象徴的に扱った歌があります。
 くるゝ夜は衛士のたく火をそれと見よ むろのやしまもみやこならねば
    (新勅撰和歌集 恋 権中納言定家)
 日が暮れて夜になったなら 衛士のたく火がそのしるしと思ってほしい
	  (わたしの恋の炎だと思ってほしい)
  煙が立つといっても室の八島は都ではないのだから
 「室の八島」は歌枕。
	  栃木の大神(おおみわ)神社の別称が八島大明神なので
	  ここが歌枕の地であるともいわれますが、
    実際の室の八島の所在地は確認されていません。
 歌人たちは実在するかどうかに関係なく、
  「室の八島」を煙の立つところの代名詞のように用いていました。
 都と栃木はずいぶん離れていますが、
	  同じように煙が立ち昇っていても、
	  夜になって衛士のたく火が見えたらそこが都。
	  わたしはそこにいてあなたを思っているというのでしょう。
  
 衛士のたく火に護られていた人物
	  順徳院(じゅんとくいん 百)に、こういう歌があります。
 心あらば衛士のたく火もたゆむらむ こよひぞ秋の月はみるべき
    (続古今和歌集 秋 順徳院)
 風情がわかるなら 衛士のたく火も弱くなるだろう
  今宵こそ秋の名月を楽しまなくては
 一晩中明々と火を燃やしつづけるのが衛士のつとめ。
	  そこをなんとか気を利かせてくれないものかというのです。
  
 能宣の歌が百人一首に採られて、衛士のたく火は有名になりました。
	  しかし歌に詠んだ例は意外に少なく、
	  勅撰和歌集では上記以外に三首しか見当たりませんでした。
	  歌語として定着することはなかったようです
  
