続『小倉百人一首』
あらかるた
【8】貴族男子の遊び
良経鷹を詠む
鎌倉時代初期の摂政太政大臣
藤原良経(ふじわらのよしつね 九十一)の作として、
このような歌が伝えられています。
思ひわびあはぬ恨みもあるものを うらやましくも渡るはし鷹
(後京極殿鷹三百首 恋)
(人には)思い悩んでも会えないという嘆きがあるというのに
うらやましいことに空を渡っていく鷂(はしたか)よ
「はし」に「橋」を掛け、空を飛べる鷹をうらやんだ恋の歌。
ハシタカはハイタカともいい、
背が青っぽい灰色をした小さめの鷹です。
この歌を載せる歌集『後京極殿鷹三百首』は
春・夏・秋・冬・恋・雑の六部各五十首からなり、
すべての歌に鷹が詠み込まれています。
霧くらきをちの高嶺をながむれば 鷹かけるらむさわぐ村鳥
(後京極殿鷹三百首 秋)
霧にかすんで暗い遠くの山の頂をながめていると
鷹が飛んでいるのだろう 鳥の群れが騒いでいるよ
情景がすぐ目に浮かびますね。なかなかの秀歌だと思われますが、
いっぽうでこのような歌も…。
身のしゝのつまるとみえば はし鷹のやき白灰のゆを注ぐべし
(後京極殿鷹三百首 春)
「しし」は肉のことです。
鷹の筋肉が固くなったようにみえたら
何かを焼いた白い灰を湯に溶いて注げというのでしょうか。
これはおそらく鷹匠(たかじょう)など
鷹の飼育にたずさわる人のための心得であって、
歌ともいえない、標語のようなものになっています。
良経ほどの歌人の作とは思えず、
後世のだれかが良経の名を借りて作った歌集なのでしょう。
多芸多才で多趣味だった有名な大臣に仮託することで、
箔をつけようと考えたのかもしれません。
雪中の鷹狩り
鷹狩りは飼い慣らした鷹を野に放って
鳥や小動物を捕えさせる遊び。
北野や交野(かたの)には天皇専用の狩場(かりば)があり、
貴族たちもさかんに鷹狩りを楽しんでいました。
良経が鷹狩りを好んだかどうかわかりませんが、
実際に鷹狩りをした人の歌を見てみましょう。
まず源俊頼(みなもとのとしより 七十四)から。
ゆふまぐれ山かたつきて立つ鳥の 羽音に鷹をあはせつるかな
(千載和歌集 冬 源俊頼朝臣)
夕方の薄暗いなか
山のほうに寄って飛び立つ鳥の羽音に向けて
鷹を放ったことだよ
はしたかをとりかふ沢に影みれば わが身もともにとやがへりけり
(金葉和歌集 冬 源俊頼朝臣)
鷂(はしたか)を飼い養う渓流に姿を映してみると
鷹もわたしも生まれ変わった姿になっていたよ
「とや(鳥屋/塒)」は鳥を飼う小屋のこと。
秋になると鷹を小屋の中に放っておいて羽が生え替わるのを待ちます。
これを「とやがえり」と呼ぶのだそうです。
同じ百人一首歌人では、
藤原雅経(まさつね 九十四)にも臨場感たっぷりの歌があります。
かりごろも裾野も深し はしたかのとがへる山の峰のしら雪
(新勅撰和歌集 冬 参議雅経)
鷹狩りをする狩衣(かりぎぬ)は裾まで深く雪に埋まる
羽の生え替わったはしたかの飛ぶ山の頂の白雪は
裾野にも深く積もっているよ
「かりごろも」と「裾」は縁語。
「裾野も深し」は「峰のしら雪」と対になっています。
「とがへる」は「とやがへる」と同じですが、
「塒帰る」と書いてねぐらに帰ることという解釈も可能であり、
だとすると意味がすこしちがってきます。
いずれにしても雅経は、寒いともつらいとも言っておらず、
むしろ深い雪の中で夢中になって
鷹狩りに興じていた姿が目に浮かびます。