読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【9】小さきものへ


法師寂連のまなざし

寂連(じゃくれん 八十七)の家集に
このような興味深い歌がありました。

牛の子にふまるな庭の蝸牛 角のあるとて身をな頼みそ
(寂連法師集)

蝸牛(かたつぶり=かたつむり)に呼びかけた、
小林一茶の句を思い出すような一首。
「頼む」は信頼する、あてにするという意味ですから、
角があるからといって自分は大丈夫と思うなというのでしょう。

詞書に「左大臣家十題百首内」とあるので、
おそらく藤原良経(よしつね 九十一)が
左大臣のころに催した歌会に発表したもの。

歌題は「虫」だったと思われますが、
おのれの能力を過信するな、汝自身を知れという
戒めの歌としても通用しそうです。

家集にはこんな歌もあります。

いかばかり子を思ふきゞす迷ふらむ 育むのべに煙立つめり
(寂連法師集)

どれほど子を思う雉子(きじ)は迷うことだろう
子を育てる野辺に野焼きの煙が立っているようだ

野焼きの煙で雉子は我が子を見失うのではないかと、
寂連は親鳥の身になって詠んでいます。

野べみればわくる雲雀の通ひ路も また隠れなし荻のやけ原
(寂連法師集)

野辺を見ると 草を分けた雲雀(ひばり)の通り道も
やはり露わになっていたよ 荻を野焼きしたあとは

雲雀は巣のありかを知られないよう
巣から離れたところから飛び立ち、
巣から離れたところに降りて、
草の陰を歩いて巣にもどるといわれます。
その通り道が、野焼きによって丸見えになっていたのです。

野焼きは春の風物詩。
歌にもよく詠まれますが、たいていはのどかな遠景であり、
人の営みが小さな命をおびやかすという
寂連の視点はめずらしいものです。


女房歌人の異論

野焼きは生活のための手段でした。
寂連が野焼きを否定していないのは、
それを承知していたからでしょうか。

しかしある女房歌人は「鷹狩(たかがり)」の題で
このように詠んでいます。

ことわりや交野の小野に鳴く雉子 さこそはかりの人はつらけれ
(金葉和歌集 冬 内大臣家越後)

もっともなことですよ
交野(かたの)の野原に雉子(きぎす)が鳴くのは
さぞかし狩をする人は薄情でしょうから

鷹狩は王侯貴族の遊び。
交野は皇室の狩猟地があったところです。
男たちはここで狩に興じていたわけですが、
狩とは無縁の女房からすれば、
雉子の鳴き声は悲鳴に等しいものだったのでしょう。

男性歌人の楽しげな鷹狩の歌が多いなか、
このようなメッセージを発した
女房がいたことにおどろかされます。