読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【10】紛らわしい取り札


露に濡れずに雪が降る?

百人一首かるたの取り札は
平仮名で下の句だけを表記してあります。
そのためおなじ言葉や似ている言葉があると見まちがいやすく、
お手つきの原因になりがち。

秋の田のかりほの庵の歌がるた とりそこなって雪はふりつゝ

これは太田南畝(おおたなんぽ=蜀山人)撰の
『狂歌百人一首』巻頭の一首。

天智天皇の歌の下の句は「わがころもではつゆにぬれつゝ」ですが、
光孝天皇の歌の下の句「わがころもでにゆきはふりつゝ」と
よく似ていて、まちがえてしまうというのです。

お手つきといえば、競技かるたで
「六字決まり」と呼ばれている札は初句五文字がまったくおなじです。
「あさぼらけ」「きみがため」「わたのはら」が
それぞれ二首ずつあるので、六字目まで聞かないと判別できないのです。

藤原定家は百人一首がかるたになるとは
夢にも思わなかったでしょうから、
意地悪をしたわけではありません。

むしろお手つきをしやすい札があることが、
かるた遊びをおもしろくしているのかもしれません。


二人の天皇を外せなかったわけ

ところで『狂歌百人一首』は、
光孝天皇の歌をこんなふうに茶化しています。

光孝と何かいふらん 君がため若菜を摘むは忠義天皇

光孝を孝行に、君を主君に読み替えて、
主君のために若菜を摘むのだから孝行ではなく忠義だろうと。

さしておもしろい狂歌ではありませんが、
それはさておき、光孝天皇が春の若菜を詠み、
天智天皇が秋の田を詠んでいるのは偶然なのでしょうか。
下の句がお手つきするほど似ているのも、
わざわざ選んだ結果かもしれません。

定家はこの二人を対称させる意図があったのではないか。
というのも、平安京を開いた桓武天皇は天智天皇の血を引いており、
定家の藤原氏は中臣鎌足(なかとみのかまたり)が天智天皇から
藤原の姓を賜ったことに由来します。

また光孝天皇は和歌の振興に努めた宇多天皇の父、
初の勅撰『古今和歌集』編纂を命じた醍醐天皇の祖父です。

定家が百首の中に平安京や藤原氏、
さらに和歌の歴史まで封じ込めようと考えていたとしたら、
天智・光孝の二帝を外すわけにはいかなかったでしょう。

王としてのやさしさを感じさせる歌が
選ばれていることから見ても、
定家の敬意が感じられないでしょうか。

※バックナンバー【204】参照