続『小倉百人一首』
あらかるた
【12】朝まだき
まだ来ぬ朝
平安時代くらいには未明の時間帯すべてを暁(あかつき)といい、
東の空が明るくなりはじめると曙(あけぼの)と呼んだそうです。
百人一首には「朝ぼらけ」で始まる歌が二首ありますが、
「ぼらけ」は「朗」と書きますから、
曙とおなじほのかに明るい時間帯を指すと思われます。
似た言葉に「朝まだき」があります。
「まだき」はまだ来ていないことをいうので、
夜が明けきらない、まだ薄暗い時間を指しています。
ほのかに明るいので、朝ぼらけと同義なのでしょう。
朝まだきあらしの山の寒ければ 紅葉のにしき着ぬ人ぞなき
(拾遺和歌集 秋 右衛門督公任)
朝早くの嵐山は(山風が吹いて)寒いから
(風に散る)紅葉を錦の衣のように着ていない人はいない
紅葉の散りかかる衣(ころも)を錦にたとえた
藤原公任(ふじわらのきんとう 五十五)の歌。
山にも人々の衣にも、まだ朝日は差していないようです。
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)には
こういう歌があります。
桜花まだきな散りそ 何により春をば人の惜しむとか知る
(能宣朝臣集)
桜の花よ そんなに早々と散らないでくれ
何のせいで人々が春を惜しむのか おまえは知っているのか
散るのは早すぎると言うのに「まだき」を使っています。
公任の場合は単に時間帯を示す「まだき」ですが、
こちらは「時期尚早」だというのです。
意に反する「まだき」
「まだき」は「未だき」と書いたり
「夙(つと)」の字を宛てたりします。
現代語なら「早くも」や「もう」といったところで、
壬生忠見(みぶのただみ)の百人一首歌はその好例でしょう。
恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
(四十一 壬生忠見)
早くもわたしが恋をしているとうわさになってしまった
ひそかに思いはじめていたというのに
人に知られるのはまだ早かったと。
「意に反して」というニュアンスが感じられます。
最後はある女房歌人が
意に反した男に書き送った歌。
浅ましやあふ瀬もしらぬ名取川 まだきに岩間もらすべしやは
(金葉和歌集 恋 前斎宮内侍)
あきれてしまいますわ お会いしてもいないのに
もう(恋仲だと)言いふらすものでしょうか
まだ早いじゃないのと言いつつ、
「浅」「瀬」「川」「岩間」「もらす」と縁語を連ね、
「岩(いは)」に「言は」を掛け、
さらに「名取川」に「名を取る(=評判になる)」を響かせ、
じつに手が込んでいます。
恋の歌の「まだき」はこのように
意に反したことを詠んだものが多いようです。
しかし能宣の歌も桜を擬人化したものでしたから、
人の意に反するのは人、なのかもしれません。