続『小倉百人一首』
あらかるた
			【13】魂をつなぐ糸
玉の緒は長いか短いか
『万葉集』にこのようなすてばちな歌が載っています。
 なかなかに人とあらずは 桑子にもならましものを玉の緒ばかり
  (万葉集巻第十二 3086 よみ人知らず)
 どうせなら 人でいるよりは蚕(かいこ)にでもなりたいものだ
  玉の緒ほどのわずかな間でもいいから
 恋の歌の並んでいる中にあるので、
  思うにまかせぬ恋にやけを起こした歌なのでしょう。
  桑子(くわこ=蚕)を持ち出したのは「緒」に関連づけるため。
  「玉の緒」は玉(=宝石)をつらぬく糸や紐(ひも)のことです。
 奈良時代、正月に玉箒(たまばはき)という玉で飾った箒(ほうき)を
  蚕室の掃除に使う風習があったといいますから、
  それも意識していたかもしれません。
次の歌は「玉の緒の」を枕詞として用いた歌。
 あひ思はずあるらむ児ゆゑ 玉の緒の長き春日を思ひ暮らさく
  (万葉集巻第十 1936 よみ人知らず)
 相愛ともいえないあの娘だから
  長い春の日を(あの娘を)思いながら過ごすことだよ
 「玉の緒の」が「長き」を導いています。
  最初の歌では短いもののたとえに引かれていたのですが、
  枕詞になると「長し」や「短し」のほか
  「絶ゆ」「乱る」「継ぐ」などにかかるようになります。
玉の緒は命そのもの
 おなじ「玉の緒」でも
百人一首にある式子内親王(しょくしないしんのう)の歌は
「魂(たま)の緒」と書いたほうがわかりやすいかもしれません。
 玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることのよわりもぞする
  (八十九 式子内親王)
 私の命よ 絶えるならば絶えてしまうがよい
  生きながらえていると忍びきれなくなってしまうかも知れないから
 魂をつなぎとめている緒が絶える(=切れる)と、
  魂は身体から抜け出してしまう(=死んでしまう)というのです。
  「緒」と「絶え」が縁語になっており、
  「ながらふ」「よわる」も「緒」から連想される言葉です。
 恋の歌ばかりつづいたので、
  最後は藤原清輔(ふじわらのきよすけ 八十四)の秋の歌を。
 竜田姫かざしの玉の緒を弱み 乱れにけりと見ゆる白露
  (千載和歌集 秋 藤原清輔朝臣)
 竜田姫の挿頭(かざし=髪飾り)の玉をつらぬく糸が弱くて
  乱れ散ったかと思うように 白露の玉が散らばっていることだ
 文屋朝康(ふんやのあさやす 三十七)の
  「つらぬきとめぬ玉ぞちりける」を思い出しますね。
 宝石をつなぎとめる糸という、
  本来の意味の「玉の緒」が使われているのですが、
  和歌全体から見るとこの用法は少数派です。
  とくに平安時代以降の和歌では、式子内親王のように
  命そのものを指すことが多くなっているようです。
