読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【21】才媛 玉の輿に乗る


浮気者セレブとの恋

百人一首歌人儀同三司母(ぎどうさんしのはは)は
名を高階貴子(たかしなのきし)といい、
東宮学士を務めた学者高階成忠(なりただ)の娘でした。
『栄花物語』は若き日の貴子をこのように記しています。

 

宮仕をせさせんと思ひなりて
先帝の御時におほやけ宮仕に出し立てたりければ
女なれど眞字(まな)などいとよく書きければ
内侍(ないし)になさせ給ひて高内侍(こうのないし)とぞ云ひける
(栄花物語巻第三)

 

(父成忠は貴子に)宮仕えをさせようと思うようになり
先帝(=円融天皇)の時に宮廷に出仕させたところ
女ながら漢字などをたいそううまく書いたので
内侍に任命なさって高内侍というようになりました

 

高内侍という呼び名は高階姓の「高」を採ったもの。
清少納言が清原姓の「清」一字を採っているのと同じ命名法です。

 

さて、学者の家系から才媛が宮廷デビューしたわけですが、
貴子が恋に落ちた相手はのちに関白となる、
中納言藤原道隆(みちたか)という超エリートでした。
しかし、

 

忘れじの行末まではかたければ けふを限りの命ともがな
(五十四 儀同三司母)

 

忘れないというその言葉も将来まではわからないもの
約束をした今日限りの命であってほしいものです

 

二股三股どころではない道隆の女性関係を知っていた貴子は、
約束を素直に信じるわけにいきませんでした。

 

《詞書》
なかの関白女のもとよりあかつきにかへりて
うちにもいらでとにゐながら帰り侍りければよめる

 

暁の露は枕にをきけるを 草葉のうへとなに思ひけむ
(後拾遺和歌集 恋 儀同三司母)

 

明け方の露は枕に置くものだったのを
草葉の上に置くものだと なぜ思っていたのでしょう

 

中関白(なかのかんぱく)は道隆の通称です。
ほかの女のところから明け方に帰って家の中に入らず、
戸の外にいてそのまま戻っていったというのですが、
それは貴子が戸を開けなかったから。
枕に置く露はもちろん涙のことです。


賢母の誉れ

貴子は道隆に北の方、つまり正妻として迎えられ、
『栄花物語』によれば、二人の間には
「女君達三四人男君三人」が生まれています。

 

そのうち一条天皇の中宮となった娘定子(ていし)は
『枕草子』に聡明で教養ゆたかな女性として描かれています。
その才は母から受け継いだものだったのでしょう。

 

母北の方の才(ざえ)などの人より異なりければにや
この殿の男君達も女君達も皆御年の程よりは
いとこよなうぞおはしける
(栄花物語巻第三)

 

母である奥方の学才などが人とちがって(優れて)いたからか
この殿(=中納言道隆)の男のお子様たちも女のお子様たちも
みなご年齢よりとても優秀でいらっしゃいました

 

息子たちが大臣や中納言になったのは
父道隆の権勢あってのことですが、
周囲からほめそやされていたかれらの学識と教養は
母親ゆずりと考えられていたようです。