続『小倉百人一首』
あらかるた
【24】恨めしい話
たわむれの恨み
このところお化けというとゲームのモンスターや
ハロウィンの仮装のお化けが人気のようです。
お化けは何物かが奇怪な姿に変化したものを指し、
日本では動物や器物もお化けになると考えられてきました。
猫や唐傘がお化けになったのです。
いっぽう幽霊は特定の人物への恨みや
みずからの後悔などで成仏できずにいる霊魂のこと。
人間が人間の姿で現れます。
かつて幽霊の決まり文句は「恨めしや~」でしたが、
今どきの幽霊はどうなのでしょう。
恨めしく君はもあるか やどの梅の散り過ぐるまで見しめずありける
(万葉集巻第二十 4496 治部少輔大原今城真人)
恨めしい人ですねあなたは
家の梅が散ってしまうまで見せないでいたなんて
幽霊ではない大原今城(おおはらのいまき)が
中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)という特定の人物を恨んだ歌。
冗談半分とはいえ恨めしいと言われた清麻呂は
見むといはゞ否といはめや 梅の花散り過ぐるまで君が来まさぬ
(万葉集巻第二十 4497 式部大輔中臣清麻呂朝臣)
見たいとおっしゃれば嫌だと申しましょうか
梅の花が散ってしまうまであなたがいらっしゃらなかったのですよ
これら二首は宴席での応答でした。
恨めしいと詠んだ今城も反論した清麻呂も、
素面(しらふ)ではなかったでしょう。
ちなみにこの宴には大伴家持(おおとものやかもち 六)も
招かれており、仲のよい歌人グループが
形成されていたようです。
世が世であれば
人を恨むならともかく、
百人一首には恨んでもしょうがないものを恨んだ歌があります。
あけぬれば暮るゝものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
(五十二 藤原道信朝臣)
夜が明ければまた夕暮れがやってきてあなたに会える
そうとは知りながらも恨めしい明け方であることよ
道信は恋の嘆きを詠んでいますが、
冗談めかすだけの余裕が感じられます。
同じ百人一首でも後鳥羽院(ごとばのいん)の歌は
だいぶようすが異なります。
人もをし人も恨めし あぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は
(九十九 後鳥羽院)
人が愛おしくも恨めしくも思われることよ
この世をつまらなく思う故に物思いするわたしは
この歌の「人」は特定個人ではなくて、
世の中には親しくなれる人とそうでない人がいるというのでしょう。
歌合で詠まれた一首なのですが、
幕府との関係に悩む日々を送っていた院の心情が
そのまま詠われているように思えます。