続『小倉百人一首』
あらかるた
【26】人麻呂の長歌
作者不明の人麻呂歌
『万葉集』は柿本人麻呂(三)の作と明記した歌を七十七首、
『人麻呂歌集』から採ったとする歌を三百七十首ほど収めています。
四千五百余首のほぼ一割を人麻呂作品が占めているわけです。
しかし『歌集』の作品については、すべて人麻呂のものなのか、
原典が失われていることもあって、いまだに定説はないようです。
また『古今和歌集』以降の勅撰和歌集が
「人麿/人丸作」として載せる歌にも作者不明のものがあり、
百人一首所収歌は『万葉集』ではこのように表記されています。
思へども思ひもかねつ あしひきの山鳥の尾の長きこの夜を
或本の歌に曰く
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む
(万葉集巻十一 2802)
作者名がなく、おなじみの「あしひきの」は
「ある本」に載っている異伝ということになります。
似ているだけでまったく別の歌に思えますが、
これを『拾遺和歌集』が作者「人まろ」として載せ、
さらに藤原定家(九十七)が百人一首に選んだのです。
宮廷歌人の本領
人麻呂は歌をもって宮廷に仕え、
行幸や儀式の際に朗吟するための長歌、短歌を詠んでいました。
多彩な修辞と巧みな構成で感動を誘う人麻呂の歌は
高く評価されていたといいます。
人麻呂の宮廷歌人らしさの味わえる歌はどれも長歌なので、
壬申の乱を扱った作品のほんの一部だけ、引用してみます。
おほみ身に太刀取り佩(は)かし おほみ手に弓取り持たし
み軍士(いくさ)を率(あども)ひたまひ 整ふる鼓(つづみ)の音は
雷(いかづち)の声と聞くまで 吹き鳴(な)せる小角(くだ)の音も
あた見たる虎か吼(ほ)ゆると 諸人(もろひと)のおびゆるまでに…
(万葉集巻第二 199 柿本朝臣人麻呂)
御身に太刀をお付けになり 御手に弓をお持ちになり
兵士たちを引き連れなさり 整った鼓の音は
雷の音に聞こえるほど 吹き鳴らす角笛(つのぶえ)の音も
敵を見た虎が吼えるのかと 人々が怯えるほど…
効果的な対句がたたみかけるような迫力を生み出しています。
これは天武天皇の皇子高市皇子(たけちのみこ)に捧げた挽歌の一節。
皇子は壬申の乱で天皇の軍勢を率いて活躍し、
その後持統天皇(二)の太政大臣となっています。
特別な機会に一回だけ、
それも数分間という短い時間内で感動を共有するための作品。
幸いなことにそれが文字で記録されて残ったわけですが、
人麻呂の宮廷歌人としての実力を知ることができます。