読み物

続『小倉百人一首』
あらかるた

【27】俊成 長寿の祝い


天皇から賀を賜った俊成

百歳と聞いてもあまり驚かなくなった昨今。
しかしかつては四十歳で長寿の祝いを行っていました。
『源氏物語』には光源氏の四十歳の祝いが描かれていますね。
これは算賀(さんが)と呼ばれるもので、
数え年四十歳以降十年ごとに祝賀会を催したのです。

 

後白河法皇の五十の賀は豪勢盛大なものだったといわれていますが、
歌人では藤原俊成(ふじわらのとしなり/しゅんぜい 八十三)の
九十の賀(くじゅうのが)がよく知られています。

 

算賀では大勢の参列者のためにご馳走が用意され、
豪華な、あるいは貴重な引出物が年齢の数だけ配られ、
楽人たちが呼ばれ、詩人や歌人も招かれました。

 

気軽にできるものではなかったのですが、
俊成の場合は後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)が
その功績を称えて算賀を開催してくれたのです。

 

《詞書》
釈阿和歌所にて九十の賀し侍りしをり
屏風に山に桜かきたるところを

 

さくら咲く遠山鳥のしだり尾の ながながし日もあかぬ色かな
(新古今和歌集 春 太上天皇)

 

遠くの山に桜が咲いている
あの山の山鳥の垂り尾のように長い春の日を費やしても
見飽きることがない素晴らしい風景ではないか

 

後鳥羽院が詠んだ屏風歌です。
詞書にある釈阿(しゃくあ)というのは出家後の俊成の名。
和歌所(わかどころ)は宮中で和歌の撰集を行う役所のことです。

 

算賀では祝いの屏風が新調されるのが通例でした。 
屏風には四季や年中行事の絵が描かれ、和歌が添えられて
祝賀の席を華やかに彩ったのです。


竹の杖 鳩の杖

時代をさかのぼると、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)が
藤原実頼(さねより)の七十の賀にこう詠んでいます。

 

君がためけふ切る竹の杖なれば またも尽きせぬよゝぞこもれる
(拾遺和歌集 賀 大中臣能宣)

 

あなたのために今日切って作った竹杖(ちくじょう)ですから
この先も尽きることのない世々がこもっています

 

算賀の主役である老人には竹杖(ちくじょう)
もしくは鳩杖(きゅうじょう)が贈られました。
竹や葦の節と節の間を「よ」というので、
能宣はそれを「世・代」にかけて長寿を祝っています。

 

この歌では実際に竹を切って杖を作ったように読み取れますが、
俊成の九十の賀では少し様子が異なります。

 

《詞書》
建仁三年和歌所にて釈阿に九十賀給はせける時
銀の杖の竹の葉に書付くべき歌めされけるに

 

百とせのちかづく坂につき初めて 今行末もかゝれとぞ思ふ
(続後撰和歌集 賀 大蔵卿有家)

 

百歳の近づく年齢の坂に杖をつき始めるあなたの行く末が
今日の日のように またこの銀の杖のように
輝かしいものでありますようにと思います

 

詞書によれば釈阿(=俊成)が贈られたのは銀の杖。
竹の葉に歌を書いたとあるので、竹のかたちをしていたのです。
杖の握りが鳩の形だったという記録(『藤原俊成卿九十賀記』)もあり、
竹杖と鳩杖が合体した銀製の杖だったのかもしれません。

 

屏風歌を詠んだのは後鳥羽院のほか
藤原良経(よしつね 九十一)、藤原雅経(まさつね 九十四)、
慈円(じえん 九十五)など、当時の歌壇の重要人物ばかりでした。
俊成の偉大な先達ぶりがよくわかりますね。